ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第五十六回となる今回のインタビューでは、南インド地域文化研究を軸に、12世紀のリンガーヤタ運動とワチャナ(カンナダ語口語散文宗教詩)の研究に取り組み、総合地球環境学研究所「環境変化とインダス文明プロジェクト」にも参加、3.11以降は気仙沼市の復興委員として巨大防潮堤建設への批判を展開されてきた千葉一さんにお話を伺います。
舟迎えと『見えない川』
——千葉さんの思想のもう一つの柱は、故郷である宮城県気仙沼・前浜の記憶ですね。
私は高校まで宮城県本吉町(現気仙沼市)で育ち、祖父(母方)や父と一緒にダンベと呼ばれる小さな木舟に乗り、生まれ故郷の前浜の海でアワビ漁やカゼ(ウニ)漁にも出ました。カゼは夏漁ですがアワビ漁は冬で、アワビ鉤を先に着けた長い竹竿など担いで、朝のまだ暗い海に降りて行きました。小学校5年生の時、初めてアワビ獲りに行ったんですがとにかく寒くてね。
——小学5年生で冬のアワビ漁、きついですね。
漁が終わって浜へ戻る際、母と祖母(母方)が波打ち際に立ち心配そうにこちらを見つめている(「舟迎え」の)姿が、沖の方から目に入りました。海から上がると、決まって五右衛門風呂が沸かされていて、湯につかるとそれはもう命が蘇る——今思うと、海の女達が司る再生の禊(みそぎ)のような心地でした。
——インドでの体験と、故郷の記憶は、どう繋がっていったんですか。
インドから帰国して、水のように流れることや「魂の流れ」、その流れを作り出す神秘主義やアニミズムと言ったものが、自分の発想の基本的な枠組みになったように思います。それは、古里三陸の再認識を促すことにもなりました。海と陸のあわいに立つあの母と祖母の舟迎えの光景が、自分の思考の原風景であるかのようにしばしば浮かぶんです。
特に3.11東日本震災後、気仙沼市の復興委員や各地の復興支援活動に関わる中で、あの「舟迎え」で沖を見つめ家族を案じて佇む磯場、その祈りの場こそ、海の力を陸に、陸の力を海に媒介する生命線だと気付くようになりました。そしたら、折口信夫が説く古代の「水の女」——禊ぎや蘇生、浜辺や水辺で再生のための超自然的力を媒介する女性たちの社会性——がぐっと近づいてくるようで、もしかしたら母たちは、その「水の女」の末裔を、残り火を生きていたのか! と。
——3.11後の巨大防潮堤建設について、千葉さんは激しく反対されていましたね。
震災から半年、津波防災を大義とした「巨大防潮堤建設計画」が乱暴(災害パターナリズムの顔をして)に振り下ろされて来た時期でした。海浜のあわいを分断するように建設される巨大防潮堤は、海と陸(山)を還流する相互的な関係性に対する無知そのものでしたし、自分にとってそれは、母たち海の女が沖を見つめ祈り立っていた磯場が、巨大なコンクリートの塊り(スターワラ)で蹂躙されることを意味していました。
全く黙ってはいられませんでした。東北学院大学などで防潮堤に関するシンポジウムを度々コーディネートしたり、異種格闘技並みに建築家協会、土木学会、沿岸環境関連学協議会などで狂気の「国土強靭化計画」を批判する報告を続けました。呼ばれれば札幌から神戸までどこへでも行って、風土を無視した理不尽極まりないショックドクトリン的な箱物空間復興を否定しました。
しかし周知のとおり、その無謀を止めることはできず、被災地沿岸部の殆どが、まるで刑務所のように灰色の壁で覆われてしまいました。その後暫くの間、私は故郷の浜に降りることができませんでした。浜辺で落胆する自分が怖かった…。





