ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第六十一回となる今回のインタビューでは、「人は何を語り、何を語らないのか」という視点から、実在の人物をめぐる語りやジブリ作品の物語構造を研究する、小柳花音さんにお話を伺います。
「一寸法師」と再話の原点
——幼少期から時計の針を進めますと、大学では総合政策学部に進学されていますね。文学部ではなかったのが、少し意外なポイントでもあります。
そうですね。実際、総合政策学部と文学部のどちらを選択するかで、かなり悩みました。当時は海外留学にも興味があったのと、総合政策学部に進学した先輩から雰囲気が良いとおすすめされたのもあり、総合政策学部を選びました。
——総合政策学部の中でも、政策科学科と国際政策文化学科がありますよね。小柳さんは国際政策文化学科で学ばれましたが、2つの学科のちがいはどうお感じになっていましたか。
あくまで、私の印象ですが、NPOなどの社会貢献活動に興味がある人は政策科学科。文化により関心がある人が国際政策文化、という感覚でした。共通で取れる科目も多くて、わりと両学科を行き来していました。
——実際に国際政策文化学科に入ってみて、どうでしたか。イメージ通りでしたか?
はい。結果として海外留学はしなかったのですが、とても楽しい学校生活でした。自分が通っていた高校よりも一学年の人数が少なくて、いい意味で大学の規模感に翻弄されずに過ごすことができました。少人数の授業も多かったので、先生方との距離も近くて、アットホームな学部でしたね。
——授業をいろいろと受ける中で「あ、ここに関心があるな」と差が出てくる瞬間があったかと思います。のちに指導教員となる先生の授業に出会ったきっかけは、何だったんでしょうか。
これに関しては、明確に覚えていますね。2年生の時に、修士までお世話になった先生の授業を初めて受けたんです。その授業で、「日本の神社にはだいたい3種類ある」というお話をされていて。1つが、天照大神(あまてらすおおみかみ)のような、いわゆる神話の神々を祀っている神社。2つ目が、近代以前に造られた、歴史上の重要人物を祀った神社。たとえば太宰府天満宮や日光東照宮のような。そして3つ目が、近代以降に国家政策の一環として造られた神社。
この説明を受けて、それまで漠然と「神社」として捉えていたものの解像度が上がりました。そこに面白みを感じたんですよね。
——神社って身近なのに、種類に分けられて、しかも3種類あるんだ!知らなかった!という驚きは、たしかにありますよね。ゼミへの入り口としては、完璧な授業ですね。
そうですね、本当に強烈な印象でした。その後、ゼミ選択をする時に、自分が卒論で書きたいテーマを考え始めたんです。その先生のゼミは「日本に関わるものなら何でもテーマに選んでいいよ」というオープンな雰囲気だったんですね。それもあって、「いちばん好きな授業の担当の先生でもあるし、ここに行ってみよう」ということでその先生のゼミに入りました。さらにいろいろ調べていった結果、図書館で先ほど話した『千と千尋の神話学』を見つけて、「ジブリ作品も好きだし、これを研究テーマにしよう!」と決めました。
——「ジブリ映画が好きだから」だけで終わらないのが、小柳さんのすごいところだと思うんです。物語を作るにあたって、人は何を語り、何を語らないという選択をするのか——というメタな、人文的な視点が、研究としても面白く取り組めた背景にあると思うんですよね。その「引いて見る」視点は、どうやって生まれたんでしょうか。
時系列が少し戻りますが——出身高校の国語のカリキュラムが特殊で、高校3年次に1年間かけて6,000字以上の卒業論文を書く、というものだったんです。
当時から童話や神話について書きたいと思っていたので、最終的に巖谷小波(いわや さざなみ)の『一寸法師』の話を題材に選びました。
——巖谷小波というと、明治・大正時代の児童文学者ですね。高校生にしてはなかなか渋いチョイスです。そうすると、「古典文学の再話(語り直し)」という観点での研究ですね。
はい。『御伽草子集』に収録されている一寸法師の話と、巖谷小波が編集し直した一寸法師の話を比較して、どういう相違があるのか、そしてそれが当時の社会状況からどう分析できるのか、という研究でした。
——もうそこで原型ができていますよね。「何が語られ、何が語り落とされ、何が付け加えられたか。それはなぜか」という構造分析の枠組みが、高校の時点でできあがっていた。
そうですね。「時代背景によって語りは変わりうる」というのを実感した瞬間でした。
——巖谷小波の「一寸法師」を読んで特に「これは時代を反映しているな」と思った箇所はありますか?
一番は一寸法師の出世に関する描写でしょうか。私たちが今イメージする一寸法師のストーリーは、鬼が落とした打ち出の小槌を、お姫様が拾って、一寸法師の背を伸ばしてあげる、という流れだと思いますが、これは巖谷小波の『日本昔噺』の描写なんです。『御伽草子集』だと、鬼が落とした小槌を一寸法師が「掠奪して」、自分で自分に振って背を伸ばす、と書かれています。
——え、そうなんですか。本人が使うんですね。
そうなんです。あと、「奪う」ではなく、「拾った」というクリーンな描写に変わっているというのもポイントです。
加えて、一寸法師は最終的に「堀河の少将」という近衛府——内裏の警備を担う機関の次官に出世するのですが、『御伽草子集』と『日本昔噺』では出世過程の描き方に違いがあります。
『御伽草子集』の一寸法師は、天皇の前で貴い家柄の子孫であったことが明らかになり、その結果少将に出世します。一方で、『日本昔噺』では、一寸法師の働きに感心した姫の父が天皇に報告したことがきっかけで、「身分も段々と出世した」とあります。つまり、元々の身分ではなく、自身の行いの成果が認められた結果出世した、という描写に変わっているんです。
——「生まれではなく行動が評価されて出世する」というのは、具体から抽象へ、一つ構造化されていますよね。完全に、文学の読み方の基礎が高校生の段階でできているんですね。
最後は、『トトロ』『もののけ姫』『千と千尋』を「異人」概念で読み解く研究と、一度社会に出てから博士課程へ進んだ経緯について伺います。






