——紆余曲折を経て、独自の立ち位置を確立されたわけですね。現在は、東京大学の「150年史」の編纂にも関わっておられます。これもまた、ご自身のこれまでの歩みとリンクしているように感じます。
非常に強くリンクしています。私は現在、学術専門職員として、2027年に迎える東京大学創立150周年に向けた歴史編纂事業に従事しています。
面白いことに、ここで私が扱っているのが、かつてサークルの部室で読み耽っていたような「学生文化」の資料なんです。
——具体的にはどのような資料ですか?
たとえば、入学時のオリエンテーション合宿で配られるしおりや、学生たちが作った立て看板の写真、サークルの会報などです。これらは、大学の公式文書のような正史からは抜け落ちてしまうものですが、当時の学生たちが何を考え、どう行動し、大学という空間をどう生きていたかを知るための、第一級の資料なんです。
——かつて個人的な趣味として、あるいは「内職」のように集めていたものが、今は大学の公式な歴史として編纂されている。
そうなんです。あの頃、周囲からは「そんなゴミを集めてどうするんだ」と言われたかもしれない資料が、100年、150年というスパンで見れば、かけがえのない「文化資源」になる。
私は今、いくつかの活動を通じて、アカデミズムの内外をつなぐ試みも行っていますが、根底にあるのは「残されなかった声を拾い上げる」という思いかもしれません。
——不器用で図面が引けなかったかつての少年が、今はテキストとアーカイブを通じて、大学という巨大な組織の「記憶」を設計している。非常にドラマチックな展開です。
自分でも不思議な巡り合わせだと思います。考古学者にはなれませんでしたが、ある意味で、文献の地層を掘り起こす発掘作業を続けているのかもしれません。
これからの歴史学は、単に過去の事実を掘り起こすだけでなく、その歴史が現代社会でどう消費され、どう政治的に利用されているのかという「現在進行系の歴史」をも射程に入れていく必要があります。大学史の編纂という実務を通じてアーカイブの重要性を訴えつつ、一方で「なぜ人は歴史を語るのか」という根本的な問いについても、考え続けていきたいですね。
——本日は、個人のライフヒストリーから、歴史学の最前線まで、密度の濃いお話をありがとうございました。鈴木さんの編む「新しい歴史」がどのような形になるのか、楽しみにしています。
こちらこそ、ありがとうございました。自分の半生を振り返りながら、うまく着地できたかわかりませんが(笑)、そうまとめていただけると嬉しいです。





