ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第五十九回となる今回のインタビューでは、日本におけるコンピューター利用と「計算する」ことの歴史を研究され、〈コンピュータ史〉ではなく〈コンピューティング史〉という視座から情報社会の来歴を描き出そうとされている前山和喜さんにお話を伺います。
文転と、ない博物館
——色々突っ込みたいような気がしますが、続けてください(笑)。
大学生ぐらいの時からもう週70時間分ぐらいテレビを見て、ラジオも何本か全部聞いて、ポッドキャストも聞いて。すごい量のものを見るのが基本的に好きで、そうするとあの知識とあの知識が近いなとか、初めて見るものが他の人より少ない状態になるんですね。食べ物もなるべく世界の料理を食べたい人なので、この地域は豆料理が多いなとか、そういう感覚が育ってくるわけですよ。
——「進研ゼミでやったところだ!」状態が常に。
はい(笑)。こないだ高校のパソコン室の先生に会った時に言われたのですが、当時僕、「Wikipediaになりたい」と言っていたらしいんですよ。あまり覚えていないのですが。「図鑑になりたい」「将来の夢は図鑑」みたいなことを言っていたらしくて。意味不明だと思うのですが、それに近い人生を歩み始めていて、僕は結局変わっていないなと思いました。
——この世界の知識を全部知っていったら、いつか終わりが来てつまらなくなるとか言われたことはないですか。
ないですね。この世界は広がり続けているので。本当は僕、YouTubeも全部見たいのですが、どう考えても1人の人間が見るよりも多くの動画がアップロードされているから見られないじゃないですか。仕方なく諦めているだけです。再生回数が100回以下の動画を見つけるのも好きなんですよ。
——情報の怒涛の中で、肩の力を抜いて乗りこなしているような。
そう、怒涛を乗りこなす能力を身につけたいんですよ。情報を取捨選択するんじゃなくて、できる限り全部やって、そのままの波を乗りこなすという感覚です。
——大学はどういう経緯で選んだんですか。
エスカレーターの高校で文系コースに行く予定だったのですが、これからはコンピューターの方がいいなと思い始めて。それまでプログラミングなどは特に触れてこなかったんですけど、パソコン室に入り浸っていたり、テレビを倍速で見たいからパソコンで見ていたりと、意外と触れる機会が多かったんですよ。普通のテレビだと1.3倍速までしか上がらないのですが、パソコンのソフトウェアならもっと速くできるので、家でもずっとパソコンの前にいました。
——なるほど、コンピューターに興味があったというよりは、パソコンを自分の情報アクセスを拡張してくれるツールとして捉えていた。
そうですね。Wikipediaみたいなものが好きだったこともありますし。それで家から電車で通えるところにあるコンピュータ科学科に指定校推薦で入りました。工学院大学です。推薦の願書に本当に「Wikipediaみたいなものを作りたい」と書いて出したんですよ。
——見た人はどう思ったんでしょうね(笑)。
分かっていないなと思われたでしょうが、指定校推薦だったこともあり、なんとか受かりました(笑)。でも勉強してこなかったので、入学後の学力調査で、英語・数学・物理の3科目で問題ありと判定されてしまいました。ただ、学内に塾のような施設があったのでそこで個別に教えてもらっていました。でも毎日行きすぎて質問する内容がなくなって、2年生のころには難しい現代数学の話、例えばリーマン幾何などの話を先生がしてくれました。
で、多分自分がアカデミアに進んだ大きなきっかけは、学部1年生の時の情報数学という科目で2進数を初めて勉強した時なんです。それで、なぜか2進数の歴史を調べ始めて、頼まれてもいないのに情報数学の先生にレポートを夏休み明けに出したんですよ。
——それはまた、頼まれてもいないのにどうして!
自分でもあまり記憶がないのですが(笑)。そしたら先生が「頑張ってこれを学会発表できる形にしよう」と言ってくれて。ネイピア——ネイピア数 e のネイピアですね——の計算盤が出てくるのですが、それを見に1人でロンドンのサイエンスミュージアムまで行って写真を撮ってきて、1年生の春休みに初めて先生と一緒に学会発表しました。学部2年生の時には先生と一緒に、査読論文として仕上げました。
——学部1年生で学会発表、2年生で論文。どういう文脈での発表だったんですか。
数学教育の分野です。文系高校出身で数学をまともにやってこなかった僕が、2進数を歴史的に勉強したことで2進数がよくわかるようになりました、というレポートを書いたんです。先生がそれを、高校から大学に進学する情報系の学生にこういうふうに教えると理解しやすいのではないかという導入教育のフォーマットに仕立ててくれたんですね。
それで数学がどんどん面白くなって、プログラミングもやり始め、競技プログラミングのコンテストにも出て、最終的に学部4年生の時にはアジア大会まで出ていました。チーム戦ですが。卒論も教養部門の数学研究室で、「数の歴史」について書きました。
——もう周りからしたら、将来はプログラマーだね、と言われるような状況ですよね。でもそこから文転しようと思った。
はい。成績はよかったので、エスカレーター的に大学院に進めばおそらく学費免除だったのですが、やっぱり文転しようと思ったんです。実は学芸員課程を取っていたんですよ。高校の科学研究部で博物館によく行っていたので好きで。それで学芸員課程を取っている時に、コンピューターの専門博物館が日本にないということを知るんですよ。
——「ない」と気づくのは鋭い視点ではないですか?あるはずのものがない、という捉え方をしないとできないことですから。
明らかにコンピューターの時代、情報時代なのに、コンピューターの専門博物館がない。塩の博物館やタバコと塩の博物館、切手の博物館、車の博物館、いろいろあるにも関わらず…… 国立科学博物館にもコンピューターは展示されているのですが、歴史の記述がよくわからないんです。他のものは文化や社会との結びつきの中で説明されているのに、コンピューターは当時の専門用語で説明されているだけで、当時の僕にとっては意味不明だったんです。コンピューターサイエンスを勉強したはずなのに。
——確かに。1994年生まれだと物心ついた時にはWindows 95があるわけで、モニターがないコンピューターとか、マウスがないコンピューターは想像しにくいですよね。
そうなんです。どう使っていたかが全く分からない展示なんですね。同じフロアに和時計や木造建築があるのですが、あちらはちゃんと江戸時代の文脈が分かるし、今の言葉で説明し直してくれている。でもコンピューターの展示はそうなっていない。
最後は「歴史」と「歴史学」はどう違うのか、喜多千草先生との出会いから〈コンピューティング史〉というブルーオーシャンに踏み込んでいく前山さんの研究観について伺います。





