ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第四十八回となる今回のインタビューでは、考古学史や社会運動史の視点から知の変遷を辿り、現在は東京大学150年史の編纂に携わる、鈴木健吾さんにお話を伺います。

論壇と部室の狭間で――政治思想と「ゴミ」資料の発見

——現場への適性に見切りをつけた鈴木さんが、次に惹かれたのが「政治」や「思想」だったと聞いています。これはどのようなきっかけだったのでしょうか。

これもまた、私の世代特有の体験が大きく影響していると思います。

小学校4年生の頃に9.11同時多発テロが起き、世界情勢が激変するのを目の当たりにしました。そして思春期にはインターネットが普及し、ネット上で様々な言説が飛び交うようになった時代です。

私は1990年代初頭の生まれですが、この世代は、ネット上の保守的な言説、いわゆる「ネット右翼」的な言説に多感な時期に触れた最後の世代かもしれません。中高生の頃、書店で『諸君!』や『正論』といった保守系オピニオン誌を立ち読みしていました。

——今振り返ると、どのようなモチベーションでそうした雑誌を読んでいたのでしょうか。

教科書には書かれていない「裏側の真実」や「国際政治の力学」を知りたいという、ある種の知的な背伸びだったのだと思います。

当時は「コミンテルンの陰謀」といった話がネットで流行っていた時期でもありました。今考えれば粗雑な議論も多かったのですが、当時の私には、学校で教わる歴史よりも、そうした雑誌が語る「生々しい政治の言葉」の方がリアリティを持って響いたんです。

——そして京大に入学後、まさにその論壇で活躍されていた先生に出会うわけですね。

はい。中西輝政先生です。雑誌で読んでいた論客が、実際に大学で教えている。「本当に実在するんだ!」という驚きがありました(笑)。

私は文学部生でしたが、法学部の中西先生の授業に潜り込み、研究室にもお邪魔しました。そこであの先生が見せてくれたのが、イギリスやアメリカの公文書館から公開された、インテリジェンス(諜報)関係の一次資料だったんです。「誰がソ連のスパイだったか」といったことが記された公文書を見て、私が漠然ともっていた関心の背後に、「インテリジェンス・ヒストリー」や「国際政治史」という、学問としてアプローチ可能な広大な領域があることを知りました。

——なるほど。そこで「歴史的事実」そのものよりも、「政治的な意図」や「思想の背景」に関心がシフトしていったのですね。

そうなんです。私は文学的な感性よりも、こうした「政治学的な批評」のセンスに影響を受けて育ったのだと思います。

歴史学において「事実はどうだったか」を突き詰める実証研究はもちろん重要ですが、私はそれ以上に、「人々がその歴史をどう認識し、どう語ってきたか」「その背後にどのような政治思想があったか」ということに強く惹かれるようになりました。

——しかし、京都大学の文学部は伝統的に、実証的な文献史学を重んじる学風だと聞きます。鈴木さんのような「メタ的」な関心は、当時の環境と馴染んだのでしょうか。

鋭いご指摘です。そこがまさに、私が味わった最初の大きな挫折でした。

関西の歴史学、特に日本史学は非常に実証的で緻密です。たとえば「吉野の桜が日本人の心象風景の中でどう形成されたか」といった文化史的な研究はあるのですが、私が関心を持ち始めたような、近現代の生々しい政治資料や、イデオロギーの対立を扱う研究は、当時の伝統的な枠組みからは「それは歴史学なのか?」と疑問視される傾向がありました。

——「歴史」というよりも「政治」あるいは「社会学」の領域だと見なされたわけですね。

ええ。私自身も、古典的な文献を読む基礎訓練(講読)についていけず、興味も持てなくなり、一時期は大学に行かなくなってしまいました。

そんな悶々としていた時期に、ふと、所属していた考古学研究会の部室——サークル棟にある古い資料の山に目が留まったんです。そこには、1960年代の学生運動のビラや、開発から遺跡を守ろうとする反対運動のパンフレットが大量に残されていました。

——普通の人なら「古紙」として見過ごしてしまうようなものですね。

でも、私にはそれが宝の山に見えたんです。「実証なんてブルジョワの学問だ!」などと書かれた激しいアジテーションの文言を見た時、不思議と琴線に触れるものがありました。

「これを資料にして、研究ができるんじゃないか」。

正規のカリキュラムからはドロップアウトしかけていたけれど、部室の片隅で、自分のやりたいことと学問が結びつく予感がした瞬間でした。

最後は現在の取り組みについて伺います。