ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第五十九回となる今回のインタビューでは、日本におけるコンピューター利用と「計算する」ことの歴史を研究され、〈コンピュータ史〉ではなく〈コンピューティング史〉という視座から情報社会の来歴を描き出そうとされている前山和喜さんにお話を伺います。

コンピューティング史へ

——どういう経緯でこの研究分野にたどり着いたんですか。

本当に偶然なんですけど、学部4年の時に普段通っているキャンパスで科学史の学会があって、開催校なので無料で入れたんです。そこでAIの歴史を研究している先生に「自分はこんなことをやりたい」とA4一枚のプロポーザルを持っていったら、いい先生を紹介してくれて。それが今、京都大学の文学部長をされている喜多千草先生です。当時は関西大学の総合情報学部にいらっしゃった。

——総合情報学部だと、前山さんの専門分野で入試を突破できる。

そうなんです。文学部だったら入試がきつかったのですが、たまたま喜多先生が情報系のところにいてくれたので。外部から受けた人がその年は僕しかいなくて、入試が完全に僕用の入試問題だったんですよ(笑)。それで喜多先生のところでHistory of Computingsという分野の研究を始めました。

そこで喜多先生に「歴史と歴史学は違う」と言われたのが大きな転機でしたね。それまでは単純に歴史が好きな少年だったのですが、修士のタイミングで歴史学——つまり歴史というものの見方で何かを考えるということ——が面白いと思えたんです。

——歴史好きから歴史学へ。その違いをすっと飲み込めたのはなぜですか。

世の中のあらゆるものには過去があるわけですね。その過去を文字で記述したものが歴史だとすると、歴史学はさらに時代を再構成して、歴史像を組み上げていく営みなんです。つまり、今の社会がどう作られてきたか、情報社会になって人々の行動や思考様式がどう変わったのか、そういうことを組み上げていく。そう思った時に、自分が博物館に展示してあるコンピュータに面白さを感じないのは、ただ単に「過去がそのまま展示してある」だけで、歴史学になっていないんだということに気づいたんですよね。

で、欧米圏のコンピューティングの歴史研究は既にあったのですが、じゃあ日本はとなった時に、全くないということに気づいた。これが2段階目で、ここが大きかった。

——なぜ日本ではやられてこなかったんですか。

専門性の壁ですね。コンピューターを勉強した人が歴史学の分野に入るのが難しいし、逆に文系のコースに進むとコンピューターを専門的に学ぶ機会がない。歴史学で古文書を読むための訓練を積むように、僕はC言語などの古いプログラミング言語で「歴史をやるための語学の訓練」を積めたわけです。たまたま文系でも理系でもない道を歩いてきたからこそ、自然にこの分野に入れた。

自分は文系だとも理系だとも思ったタイミングが一度もないんです。受験に紐づいたあの区分をやってこなかったので。だから周りからは学際的な研究をやっていると言われるのですが、僕からしたら結構王道というか、コンピューターの歴史をまっすぐ勉強できる環境で生きてきたという感覚なんですよね。

——前山さんがこの研究をやる理由について、もう少し聞かせてください。「やられていないからやる」という戦略的な選択にも見えますが、「なぜ私が、なぜ今」ということは考えませんか。

それもよく言われるのですが、今まで自分が辿ってきた興味関心の中で単純に一番面白いからやっているだけなんですよね。歴史が好きだったし、コンピューターも好きだった。人勢を戦略的にやるならそのままコンピューターサイエンスにいた方が生存的にはうまくいったと思いますし。研究者になりたいと人生で思ったタイミングも今の時点でもなくて、一番楽しくて一番面白いことだと思っているのでやっているんです。

——なるほど。そのうえで、あえてちょっと意地悪な訊き方をしますね。ご自身がいくら面白いと思っても、外向きの言葉で説明して、応援してもらわないと続ける環境も続かないですよね。「一番面白いからやってます」だけだと物足りないと言ってくる人は絶対いるだろうなと思うのですが。

あ、いい質問ですね(笑)。2つあって、まずピュアに言えば、現代社会はコンピューターの社会だと思っているんです。なのでそれをやるのは全然マニアックじゃない。逆に僕からすると、今の日本史の研究対象でやっているようなことのほとんどの方がマニアックなんですよ。コンピューターの社会なのに、コンピューターで考えるのは当たり前でしょうと。

もう一つは、僕が面白いと思っていることは当然面白いはずでしょうと思っているところですかね(笑)。研究計画書を書くような戦略もあまり考えずに、面白いじゃんというノリでやってきてしまった。で、それがたまたま運もあるだろうし時代の流れもあって、みんなにも興味を持ってもらえているのですが、人が参入してこないだけなんです。もう本当にブルーオーシャンなんですよ。障害学のためのコンピューター利用の歴史とか、機械翻訳の歴史とか、一次資料がちょっと調べれば出てくる。誰も手をつけていないんです。

——コンピュータや情報技術は、技術は新しいもののほうが価値が高い、去年出た本はもう古いというふうに思われがちな分野ですよね。それでも歴史学という武器を前山さんは捨てたくないと思っているし、捨てるべきじゃないと思っているはずですよね。それが機能する場面とは、どういうものだと思いますか。

今の話の中にはやはり「役に立つ」とか「技術的に発展する」というのがベースにあると思うのですが、僕はそこに興味がないんですよね。コンピューターを使うことで社会がどう変わってきたか、人々がどうなっているのかに興味があるんです。よく言うのですが、僕は〈コンピュータ史〉をやっているのではなくて、〈コンピューティング史〉つまり計算することの歴史に興味があるんですよ。

情報系だと博士論文の賞味期限が10年ないと言われたりしますが、僕はそういうことをやりたいと思っていない。全く違うレイヤーをやりたい。古いことを知ったからといって現代のコンピューターの理解が促進されるとも思っていなくて、普通に現代社会を知れるということの方にベクトルが向いていますね。

——なるほど。技術のリアルタイムな効用を語る役割の人は大勢いるけれど、そうじゃないポジションの取り方もあるよ、ということですね。

そうですね。ありがとうございます、丁寧に聞いていただいて。

———今日はとても面白いお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。