このインタビューは全2回シリーズ
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——その「ズレ」こそが、ワオデさんを再びアカデミズムの世界へ引き戻した動機でしょうか。

ええ。制度としての技能実習を外側から批判するのは簡単です。しかし、実際にその制度を利用して日本へ行き、帰ってきた彼らの人生にとって、あの数年間は何だったのか。単なる「被害」や「成功」という言葉で片付けられない、もっと複雑で豊かな経験がそこにはあるはずだ。その「人の移動」の深層を、自分の目で見極めたいという思いが抑えられなくなったんです。

——その後、国費留学生として【一橋大学】大学院へ進まれます。社会学研究科という非常に厳しい環境で、具体的にどのような手法を用いて研究に取り組まれたのでしょうか。

私が最も大切にしているのが、【質的調査】による「語り」の収集です。日本各地のインドネシア人コミュニティに足を運び、独立記念日のイベントやイスラームの礼拝、あるいは日常的な集まりに参加して、徹底的に対話を重ねます。また、インドネシアに帰国した方々にもインタビューを行い、彼らにとっての日本での経験の意味や、またその経験によってキャリアや進路がどのように影響を受けたのか調べています。

——数字で見える「構造」と、対話で見える「個人」。研究を進める中で、その二つの間で揺れ動くことはありませんか。

毎日が葛藤の連続です。制度としての技能実習や【特定技能】をマクロな視点で見れば、そこには【送り出し機関】や受入れ側の論理が優先され、労働者が「交換可能な部品」のように扱われている非情な現実が浮かび上がります。

しかし、ミクロな視点で一人ひとりに向き合うと、彼らはその不条理な構造の中でも、巧みに楽しみを見つけ、友情を育み、未来への種を蒔いています。彼らが「日本に来て良かった」と笑顔で語る時、それを「無知ゆえの肯定だ」とか「構造的な搾取に気づいていないだけだ」と断じるのは、研究者の傲慢ではないか。そう自問自答し続けています。

——他者の経験を解釈することの、恐ろしさと責任ですね。

ええ。それに加えて、私自身がインドネシア人であるという「ポジショナリティ(立場性)」ゆえの難しさも常に感じています。同じ同胞だからこそ、かえって聞きにくいことや、調査結果としてどう書き残すべきか迷うことが多々あるんです。

——同じ国の出身だからといって、手放しで心を開いてもらえるわけではないのですね。

そうなんです。同じ「日本に住むインドネシア人」と言っても、立場は全く違います。相手からすれば、私は「日本の大学院で学び、安定した仕事とビザを持っている、恵まれた側の人」に見えるかもしれません。そこにある明確な境遇の差が、時として見えない壁になってしまう。インドネシアでの現地調査や帰国者に対する調査でも同じです。例えば、年上の技能実習経験者や送り出し関係者からしたら、なぜこの研究を実施するのか、極端にいえば私にはどのようなメリットがあるのかと考えている人もいるかもしれない。「なぜ同じインドネシア人なのに、君が僕たちのことを調査するのか?」という不信感を持たれてしまうのではないか、という不安は常に付きまといます。

最後は彼女の研究実践について伺います。