ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第五十四回となる今回のインタビューでは、日本に在住するインドネシア人労働者の移動経験とコミュニティ形成を研究テーマに、一橋大学大学院社会学研究科で博士課程に在籍する研究者であり、技能実習・特定技能制度下で暮らすインドネシア人への情報支援・権利啓発活動にも取り組む、ワオデ ハニファー イスティコマー (Waode Hanifah Istiqomah)さんにお話を伺います。

漫画と父の言葉が導いた、偶然と必然の「日本学」入門

——本日はお忙しい中ありがとうございます。今回は、「日本で研究するインドネシア人」という記号的な枠組みを一度取り払い、ワオデさんという一人の女性が、どのような問いを持ってこれまでの道を歩んできたのかをうかがいたいと思います。まずは、ワオデさんの原体験について。日本という国が、最初に意識に上ったのはいつ頃のことでしたか。

私の日本への入り口は、多くの同世代のインドネシア人と同様、日本のポップカルチャーやエンターテインメントでした。ただ、私の場合、そこには父という存在が大きく関わっています。

父は大変な読書家で、私と弟が幼い頃から「本を読みなさい」と、文字がぎっしり詰まった小説をよく勧めてきました。でも、弟は、文字ばかりの本を読むのがあまり得意ではなかった。そこで、父がある日、「これなら読みやすいだろう」と弟のために買ってきたのが、漫画『【名探偵コナン】』でした。それを私も一緒に読むようになって、日本の漫画にすっかりハマってしまいました。

——弟さんのための漫画だったはずが、ワオデさんも引き込まれていったと。

インドネシア語に翻訳された単行本をたくさん読みましたし、週末の午前中は弟と一緒に日本のテレビアニメをずっと見ていました。朝から昼まで、30分おきに日本のアニメがずっと放送されていたんです。チャンネルを切り替えながら、夢中で見ていましたね。

当時はまだ「文化交流」なんて難しい言葉は知りませんでした。でも、テレビ画面の向こうにある日本という国は、ワクワクさせてくれる「物語」に満ちた、非常に魅力的な世界として私の中に根付いていきました。

——趣味の領域を超えて、アカデミックな関心、あるいはキャリアとして「日本」を選ばれたのは、どのような経緯だったのでしょうか。

実は、最初から「日本学を究めよう」とは思っていませんでした。でも、偶然のきっかけが重なって、日本学を学ぶことになったんです。

私の通っていた公立高校では、学年ごとに第二外国語が指定されていたのですが、私の学年はたまたま日本語だったんです。一つ下の学年はドイツ語、一つ上はまた別の言語。もし一年生まれるのがずれていたら、私は今頃ドイツ語を話していたかもしれません(笑)。

大学進学にあたっては、もともと国際関係学科を専攻したいという希望を持っていました。インドネシアの大学入試には第一志望と第二志望を併願する仕組みがありました。

実は、初めは第二志望をドイツ語学科にしようと思っていました。ところが、例によって父が「せっかく日本語や日本の文化にふれているんだから、日本に関する学科を第二志望にしたら?」と。私も「そっかあ、そうかもしれないな」と思って、第二志望を日本学科に変えたんです。

受験の結果、第一志望の国際関係学科には落ちてしまい、第二志望の学科に合格しました。それで、インドネシア大学(UI)日本学科で学ぶことになったんです。

つづいては研究者としての葛藤について伺います。