ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第五十二回となる今回のインタビューでは、中世ヨーロッパの聖遺物容器や個人的な祈りのための造形イメージ研究を専門とし、東京大学大学院での研究・助教職を経て現在は沖縄県立芸術大学に拠点を移した美術史家、太田泉フロランスさんにお話を伺います。
カッコいいマダムと巡礼路と——「実物を見る」「身体で感じる」ことが開く、聖遺物の世界
——先生の研究姿勢として、「現地で実物を見る」ことを徹底されていますね。修士時代のレポートをネットで拝見して、「実物を見ずに研究することの恐ろしさ」を綴られていたのが印象的でした。
ああ、それは恥ずかしい(笑)。若気の至りで書いた言葉ですが、今でもその思いは変わりません。東大の美術史学研究室では、徹底的に作品を自分の目で見て観察し、向き合い続けることを教えていただきました。
卒論の調査でフランスのディジョン市立図書館に行った時のことは、今でも鮮明に覚えています。貴重な写本を見せてもらうために予約をして行ったのですが、担当してくれたのが、50代くらいのすごくカッコいいマダムだったんです。
——いいですね、カッコいいマダム。
ええ、金髪で、ヒールの音をカツカツと響かせて歩くような。彼女はガムをクチャクチャと噛みながら、「これよ」と無造作に国宝級の写本を出してきて(笑)。そのギャップにも驚きましたが、何より実物を目の前にした時の衝撃は忘れられません。
——やはり、図版やデジタル画像とは違いましたか。
全く違います。ページをめくる時の質感、インクの盛り上がり、輝き。写本画家の手の動きが想像されるような線の勢いや肥瘦などなど、言い尽くせません。現代の私たちは、目に見える世界を写真や映像で記録することに慣れきっていますが、そこからこぼれ落ちてしまっている豊かさにはなかなか気がつけない。中世の人々は「目に見えない、想像も及ばないほど尊いもの」を、どうにかして可視化しようと苦闘している。その痕跡は、実物を目の前にして初めて、圧倒的な説得力を持って迫ってくるんです。
マダムをはじめとする図書館の皆さまとはその後お食事もご一緒させていただきました。日本からわざわざディジョンが誇る写本を見に来た学生がいる、というのが面白かったんでしょうね。そうやって現地の専門家の方々と交流し、その土地の空気を吸いながら、色々なお話しをすることも研究活動の一部だと思っていますし、調査の醍醐味でもあります。
——「身体性」という点では、先生ご自身もかなりハードな体験をされていますね。スペインの巡礼路を歩いたり、山伏の修行に参加したり。机上の研究だけでは満足できなかったのでしょうか?
文献を読むだけでは分からない、「信仰の現場」を体感したかったんです。
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路を歩いたのは、スイス留学中のことでした。最初は2週間かけてイベリア半島の中盤から端まで歩いたんですが、それでは物足りなくて、翌年に1ヶ月かけて歩き通すということをやりました。
——1ヶ月も歩き続けるんですか。私は、やり通せない自信があります。
あれは本当に……辛かった(笑)。足はボロボロになるし、灼熱の太陽には焼かれるし。でも、面白いことに、肉体を極限まで追い込んで、余計なことを考える余裕すらなくなった状態で教会にたどり着くと、感覚が変わるんです。
普段なら「この建築様式はロマネスクで、ここの彫刻の図像学的な意味は……」なんて分析的に見てしまうんですが、極限状態では理屈が消え失せる。ただひたすら、「ああ、なんてありがたいんだろう」「美しい」と、涙が出るほど感動するんです。
——知性はいったん置いておいて、身体が直接反応するような状態でしょうか。
まさにそうです。苦しいことと、気持ちいいこと、あるいは充実感というのは、どこか深いところで繋がっているんだなと実感しました。
人間は、肉体を痛めつけたり、ある種のトランス状態に置いたりすることで、普段とは違う回路が開くようです。熊野で山伏修行をした時もそうでした。
——熊野での体験についても詳しく教えてください。東大文学部と熊野地方の中核都市、和歌山県新宮市が協定を結んでいた関係で行かれたのですよね。
はい。熊野での修行では、皆で声を合わせて般若心経や真言を唱えたり、警報が出るような大雨の中、険しい山道を数日かけて歩きました。そこには具体的な「美術作品」があるわけではないんですが、集団で声を出し、体を動かしているうちに、自分の体から何かが放出されるような快感を覚えました。
自分を痛めつける受動的な苦痛だけでなく、自分の中から何かが溢れ出ていく能動的な感覚。「これを10年続けたら、信仰が生まれるかもしれない」「何かが見えるかもしれない」と、理屈抜きに理解できました。




