——そこから実際に研究の道を志すことになるわけですが、憧れと現実の間でギャップを感じることはありましたか?
これがまた、非常に情けない話なんですが……(笑)。
成長するにつれて、自分の「適性」というものが残酷なまでに見えてきますよね。「自分は野球選手にはなれないな」とか。私の場合、何よりも致命的だったのが、手先が絶望的に不器用だったことなんです。
——不器用、ですか?
ええ。考古学の実務において、図面を引く、実測図を取るという作業は避けて通れません。これは外科医や建築家と同様に、高度な技術が求められる職能なんです。
ところが私は、真っ直ぐな線を一本引くことすら満足にできない。写生やデッサンが全くダメで、現場で遺構の図面を取るなんて到底無理だということが、中高生くらいの時には薄々わかっていました。
——憧れの職業に必要なスキルが、自分には欠けていると気づいてしまった。
その一方で、文章を読んだり、歴史の文献を読み解いたりすることは得意でした。「古文書を読む歴史学者」という職業があることも知っていましたから、高校時代には「自分は現場でスコップを握る人間ではなく、研究室で本を読む人間なんだろうな」と、進路を修正し始めていました。
——それで、京都大学へ進学されたのですね。京大と言えば、東洋史や考古学の名門というイメージがあります。
はい。当初は様々な分野への興味があったのですが、最終的には日本史学を専攻しました。ただ、大学に入ってもまだ考古学への未練を断ち切れずにいたんです。
京大には「京都大学考古学研究会」という、戦後の高度経済成長期に山ノ口遺跡の発掘などを手掛けた伝統あるサークルがありまして。そこに入って実際にフィールドワークも経験しました。
——実際に現場に出てみて、いかがでしたか。
やはり、手先を使う作業は苦痛でしかなかったですね(笑)。フィールドワーク自体は楽しかったのですが、「これを一生の仕事にするのは無理だ」と確信しました。ある意味で、そこで完全に踏ん切りがついたとも言えます。
次回は今につながる出会いについて伺います。


