ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第五十三回となる今回のインタビューでは、考古学・文化財科学(考古科学・保存科学)・修復技術を横断する学際的アプローチで、シルクロード沿線の壁画の彩色技法の研究や、埴輪の彩色物質分析、オホーツク文化出土刀装具の研究など、「モノ」に直接向き合う科学的文化財研究を続ける谷口陽子先生にお話を伺います。
土器の指紋
——本日はよろしくお願いします。まず、谷口先生が考古学と文化財科学という、一見異なる二つの分野を行き来するようになったそもそもの出発点を聞かせてください。
私の研究の原点は、特別な教育や出来事というよりも、ごく日常的な体験の中にあります。茨城県ひたちなか市で過ごした幼少期、自然に囲まれた環境で遊ぶことが多く、そのなかで土や石、木といった素材に触れることが日常でした。あるとき、林の中で、近所の子供たちと地面を掘って遊んでいる最中に、土器の破片をみつけたことがあります。
——それほど早くから考古学の道を志されていたのですね。
当時の私は、それがどの時代のものか、どのような意味を持つのかを理解していたわけではありません。ただ、土器というとても古いものだということは知っていて、そこに、土器を作った人の指紋がついていたことに、不思議な実在感を覚えました。目の前にある小さな破片が、かつて誰かの手によって作られ、使われ、そして残されたものであること、そしてその指紋が現在の私の指紋と同じようなものである、おなじ人間が作ったんだという感覚は、言葉にしにくい印象として記憶に残っています。
その後、大学で考古学を学ぶようになり、あらためてあの体験を振り返ったとき、それが縄文時代後期の土器であったことが分かりました。過去の体験と現在の知識が結びついたことで、「モノ」を通じて時間を遡るという感覚が、より明確な形を持つようになりました。この経験は、研究の方向性を決定づけたというよりも、むしろ長い時間をかけて関心が持続してきたことを確認する契機であったように思います。
——筑波大学で考古学を専攻されたあと、東京藝術大学の大学院へ進まれています。どのような問題意識から転換されたのでしょうか。
筑波大学では、発掘調査、遺物の記録、実測図の作成といった実践的な訓練を通じて、資料に基づいて考える姿勢を学びました。現場で土に触れながら遺構や遺物を扱う経験は、考古学において不可欠なものであり、そこから得られる知見は非常に大きなものがあります。
一方で、学びを深めるなかで、考古学の方法論についても強い関心を持つようになりました。出土した資料をどのように解釈するのか、その解釈はどの程度まで検証可能なのか。こうした問いは、実際の研究の中で常に意識されるものです。
当時の経験の中で印象的だったのは、資料の観察や記録の方法が、しばしば経験や熟練に依存していた点です。もちろん、長年の経験に基づく観察眼は重要ですが、それだけでは再現性や客観性の確保が難しい場合もあります。特に、三次元的な形状を二次元の図面に落とし込む作業などでは、記録者による差が生じやすく、その結果が解釈に影響を与える可能性もあります。
また、考古学は本質的に断片的な資料を扱う学問であるため、限られた情報から過去を復元するという困難さを常に伴います。このこと自体は考古学の魅力でもありますが、同時に、解釈の妥当性をどのように担保するかという問題も内在しています。
こうした問題意識から、私はより客観的で再現可能な分析手法を取り入れる必要性を強く感じるようになりました。すなわち、観察や解釈だけに依存するのではなく、測定や分析によって裏付けられる方法論への関心が高まっていったのです。そのため、考古学ではなく、その当時、文化財の科学的研究、考古科学や保存科学を勉強することができた、東京藝術大学の大学院に進学をしました。
——そこで文化財科学という選択肢が浮かび上がってきた。
そうです。文化財科学のなかでも考古科学は、文化財を対象に科学的分析を行い、その材料や構造、技法を明らかにすることができる研究で、一方、保存科学は、その文化財の状態を調査し、劣化のメカニズムを明らかにすることで、適切な保存や修復の材料や方法を探る学問です。
考古学が主に過去の人間活動を解釈する学問であるのに対し、保存科学は「今ここにあるもの」をどのように維持し、未来へ伝えるかという実践的な課題に直接向き合います。この違いは大きいように見えますが、実際には両者は密接に関係しています。資料の保存状態や材料の特性を理解することは、その資料の意味を解釈するうえでも重要だからです。
考古科学や保存科学の魅力は、「モノ」そのものに直接働きかける点にあります。顕微鏡観察、分光分析、クロマトグラフィーといった手法を用いて、目に見えないレベルで材料を理解することで、文化財の本質に迫ることができます。さらに、その知見は保存や修復という具体的な行為に結びつきます。つまり、知識がそのまま実践につながるという特徴があります。
この分野に進んだことで、私は考古学的な視点と科学的な分析手法を組み合わせることの重要性を、より強く意識するようになりました。
つづいて、自身の転換点について伺います。




