——東京大学という選択肢は、どのように出てきたのでしょうか?
中3の時に面接で「志望の大学が決まっているといい」という噂を聞いていて、「じゃあとりあえず歴史好きだし京都に行きたいから京大にしよう」と。知っている大学もそれほどないですし、レベルなども全然知らないわけです。
それで志望校はずっと京大と言っていたのですが、たまたま最初のテストから上位の方にいられたので先生たちが本気にしてしまい、「東大はどうなの」という話を面談で何度もされました。先生たちとしては、やっぱり東大に進学してほしい気持ちが強い。同級生がそこそこ東大を目指していて刺激されたのもありますし、2年生の時に模試で東大も書いてみたら、その時だけたまたま少し良かったんです。「東大は教科書を真面目にやれば受かる」「京大は才能型」と言われますが、個人的には明らかに前者。部活も週7でやっていて、個性的な問題を出されても絶対に無理だと分かっていたので、ちょうど良いかなと。もう少し後のことになりますが、受験前に文学部と教育学部で迷っていたので、入学後に専門分野を決められる進振り(進学振り分け。現在は進学選択)にも惹かれました。
——進振りでは、どのように進路を決められましたか。
経済学部以外の全ての文系学部で迷っていたので、たくさん迷いました。経済は違うというのは高校から決めていて。法学部にも行きたかったので、点数は80台には乗せておきたいなというぐらいの目標で前期はやっていました。2年のSセメスターで法学部の主題科目で知財法のゼミに出て、特許の話やアメリカの判事の方に特許の裁判の話を聞いたりして、判例なども読んだのですが、面白くはあったものの「専門にするのは違うかな」と思って、法学部はなしになりました。
——楽しいゼミだったのに、消去法になっていますね(笑)。
文学部でも仏文と日本史学科で迷っていて、教育もまだ全部絞り切れておらず、比教社と教育心理あたりで考えていました。仏文は元々好きでフランス語も読解の授業をたくさん取っていたのですが、文学プロパーの授業だと「自分が研究するというより、知識を学べれば十分かな」と思って消えていきました。日本史も、元々学部で就職するつもりでいたので、学部4年までで何か目立った成果を出す自信がなかったというのが大きくて。
教育学部でどこにするかとなった時に、最後まで比教社と教育心理で迷っていたのですが、個人の発達にももちろん興味はある一方で、社会の構造や社会全体がどうなっているのかを見てみたいという気持ちのほうが大きくなっていました。比較教育社会学コースの調査実習で、中学校に質問をして統計で分析するというのが3年生からあるので、量的に分析する手法を学べそうだなと。
——1、2年生の時は川人ゼミ[1]注:弁護士・川人博氏が講師を務める自主ゼミの教育パートに入られたのですよね。
「社会問題に、現場に行って学びなさい」というのがコンセプトで、いろんな人の話を聞いたのです。ただ、私は話を聞くとそこにすごく感情移入してしまうというか、「分かる、分かる」と共感してしまうタイプなので、そこに逆に行きすぎてしまって。社会全体でどれぐらいそういう人たちがいるのだろうとか、もう少し俯瞰する視点が逆に欲しくなって。量的に見られる社会学はいいな、とざっくり思ったのが、最終的に比較社会学にした理由としては大きいと思います。
——ご自身の教育観が揺さぶられた瞬間があった、と。
川人ゼミの初回講義で、水谷修先生(注:夜回り先生として知られる教育者)のゲスト講義があって。これまで自分は向学校的で、学校に適応してきたけれど、全然そうではない子たちもいて、そこに向き合っている人たちがいて、ということを知りました。自分の教育観が相対化されたので、もう少し、自分の価値観や生きてきた中で培われた教育観——教育って多分誰でも語れると思うのですが、だからこそ歪められてもいる気がするので——そういったものも相対化したいというのが、その2年間で生まれた気がします。
次回は、修士進学の決断から「学チカ」研究の出発点となったご自身の就活体験について伺います。
References
| ↑1 | 注:弁護士・川人博氏が講師を務める自主ゼミ |
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