ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第四十四回となる今回のインタビューでは、人類学の視点から知と生活の境界を問い直し、実践的なフィールドワークを展開する研究者、池原優斗さんにお話を伺います。
観察者としての実践、あるいは価値の再編集
——北大ではCHAIN(人間知・脳・AI研究教育センター)に所属されています。ここをフィールドに選んだのはなぜですか。
当初はWeb3のコミュニティを研究しようと思っていたのですが、やはりその中心は東京にあって、札幌からだとリアリティのある調査が難しいと感じました。そんな時、学内にCHAINという非常に学際的で面白い研究所があることを知りました。
「ここ自体を研究対象にできるんじゃないか?」と思いついたんです。
——自分が所属する研究所を、人類学的に観察するわけですね。
はい。「オートエスノグラフィー(自己記述誌)」という手法と重なる点もありますが、自分が研究センターの一員として、授業を受けたり、リサーチアシスタントとして働いたりしながら、そこで行われるコミュニケーションや、研究者たちのネットワークを記述する。
例えば、ヴィーガニズムを推進する学生と議論する際、自分はヴィーガンではないけれど、相手の論理に合わせてヴィーガンの文脈で教員に説明を行う、といった自分の振る舞いも含めて分析しました。
——「中の人」でありながら「観察者」でもある。その視点の切り替えは難しくないですか。
むしろ、自分が実践者として関わっているからこそ見えるものがあります。最近のデザイン学や教育学でも「実践研究」というスタイルが増えています。自らワークショップを行ったり、授業をデザインしたりして、そのプロセス自体を研究知見としてまとめるやり方です。
今は、CHAINという物理的な場所だけでなく、そこで出会った研究者たちが繋がっていく「ネットワーク」そのものを追っています。
——具体的にはどのような?
例えば、意識研究のネットワークの中で出会ったある研究者が、実は個人的に小説を書いていたことが分かりました。その小説は、まだ世に出ていないけれど、ある種の「語り」として非常に面白い。
これを、都市研究でいう古民家リノベーションのように捉え直せないかと考えました。長い間世に出ていなかった小説という存在について、あとから来た人の新しい視点も取り入れながら、共創的に再デザインしていく。そうした「価値の再編集」のプロセスを共同研究として行っています。
——池原さんのお話をうかがっていると、一貫して「価値の転換」や「視点のずらし」への関心を感じます。
そうですね。「逆張り」と言われることもありますが(笑)、一見価値がないと思われているもの、日常に埋没しているものに、別の角度から光を当てて面白がるのが好きなんです。
路上に残された無用の長物(元々は用途があったが今は役に立っていない建築の一部など)を観察するトマソンや、今和次郎(こん・わじろう)が提唱した「考現学」にも強く影響を受けています。
——今和次郎は、関東大震災後の東京で、人々の服装やバラックの家屋などを詳細にスケッチし、考古学ならぬ「考現学」を打ち立てましたね。
ええ。今和次郎は、ありふれた雑多なものも含めて現在の人々の生活を記録していきました。
私も、権威付けられた理論だけでなく、現場の経験に基づいたデータや、研究者たちの飲み会での会話、ふとした日常の実践の中にこそ、重要な知見が隠れていると思っています。
——Web上のチャットから思想を学び、聖書研究会で他者の世界観に触れ、今は研究者のネットワークの中で「知」が生まれる瞬間を観察する。対象は変わっても、池原さんの「世界の捉え方」はずっと繋がっているのですね。
そうかもしれません。エンジニアとしてコードを書けることも、理系の研究者との共通言語になっていますし、すべての経験が今の「人類学的な実践」に集約されている気がします。
これからも、領域を横断しながら、まだ誰も価値づけしていない「面白いもの」を、人びとと共に探求していきたいですね。
——池原さんの視点が、今後どのような「当たり前」をひっくり返してくれるのか楽しみです。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。




