ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第二十三回となる今回のインタビューでは、哲学と文学の境界を越境し、ハイデガーの根源的な「問い」と石牟礼道子の切実な「言葉」とを往還することで、現代における思索の新たな地平を切り拓く、研究者の宮田晃碩さんにお話を伺います。
応答する言葉を求めて:石牟礼道子と<間>の思考
——ハイデガー研究を深めていく中で、現在のテーマである石牟礼道子の文学にどのようにして出会ったのでしょうか。
これもまた、人との縁がきっかけです。大学院ではIHS(多文化共生・統合人間学プログラム)という、専門分野を越えて産学連携などを学ぶプログラムに参加していました。その活動の一環で、総合地球環境学研究所(地球研)との合同シンポジウムに参加する機会があったんです。
——地球研ですか。哲学とは少し離れた分野な気がします。
そこで私は、和辻哲郎の『風土』などを参照しながら、研修で訪れた滋賀県の地域コミュニティでの哲学対話の経験についてポスター発表をしました。土地に根差した知恵、いわゆる「在来知」が対話を通じて現れてくる面白さや、そこに研究者が介入することの意味などを論じたのですが、それを見ていた地球研の阿部健一さんが「そういうことに関心があるなら、石牟礼道子を読むといいよ」と声をかけてくださったんです。
——そこで石牟礼道子の名前が。
その時はまだ読んだことがなかったのですが、その後、博士課程2年の時に地球研で3ヶ月間のインターンシップをすることになりました。環境哲学やフィールドワークの素養が全くなかったので、その下準備として石牟礼文学を読んでみよう、と思った矢先、2018年2月に石牟礼さんが亡くなったんです。書店に平積みされた『苦海浄土』を手に取り、読んでみたら、ものすごい衝撃を受けました。
——どのような点に衝撃を?
まず個人的なことで言えば、作中に描かれる水俣の漁師さんたちの言葉の「聞き書き」です。私の父の実家が熊本なので、彼らの使う方言が、子どもの頃から聞いていた言葉と重なりました。半分くらいしか理解できていなかった祖父母の言葉が、活字を通して、ああ、こういう言葉だったんだ、と腑に落ちた。自分のルーツに出会ったような感覚でした。
そして同時に、哲学的な問いも生まれました。『苦海浄土』の後書きを読むと、編集に深く関わった批評家の渡辺京二が、あれは完全な「聞き書き」ではなく、石牟礼さんの創作がかなり入っている、と書いているんです。
——語られた言葉そのままではない、と。
確かに、あまりにも文学的で美しい文章です。語り手の心情が核にあることは間違いないでしょうが、創作であることもまた事実だろう、と。その時、これは「誰の言葉」なのだろうか、という疑問が湧き上がりました。語り手の言葉なのか、石牟礼さんの言葉なのか。あるいは、その両者でもない、別の主体を考えなければならないのか。
これは、高校時代から抱いてきた「自分の言葉で語る」というテーマとも深く繋がる問いでした。
——ご自身の長年のテーマと、石牟礼文学が響き合ったのですね。
はい。その問いを深めるために、ハイデガー研究の学会で、彼の後期の言語論と『苦海浄土』を結びつけた発表をしました。後期のハイデガーは詩を論じ、自らも詩的に語るなど、非常に難解で、正直なところ、それまではあまり興味を持てずにいました。
しかし、彼の言う「言葉はコミュニケーションの道具ではなく、人間への呼びかけである」とか、「詩作によって人間は本当の意味で「住む」に至る」といった思想が、『苦海浄土』を読むことで、ものすごいリアリティを持って迫ってきたんです。
——「詩作によって住む」…ですか。聞き慣れない表現ですが、なんだか奥行きを感じる言葉です。
水俣病によって問われたのは、近代社会とは何か、共同体とは何か、そして土地に住むとはどういうことか、という問いでした。『苦海浄土』で語られる漁師たちの魚との関わりや、船の神様の話などを読むと、都会で暮らす自分は果たしてこの世界に「住んで」いると言えるのか、と深く考えさせられる。
抽象的に思えたハイデガーの哲学が、石牟礼さんの文学を通して、自分の生活に切実に迫る問いとして立ち現れてきた。文学作品を読むことを通して、哲学の議論を読み直し、時には批判的に捉え返す。自分が何のために哲学をするのか、その足場となる地面が、そこで確かめられた気がしました。
——回り道のようでいて、必然的な出会いだったのですね。
そうかもしれません。その後、東大のEAA(東アジア藝文書院)で「石牟礼道子を読む会」が立ち上がり、文学研究を専門とする方々と共に読む機会にも恵まれました。そこから、エコクリティシズム(環境人文学)の学会で論文を発表するなど、活動の幅が広がっていきました。
——お話を伺っていると、宮田さんは常に複数の分野やコミュニティに身を置き、その「間」で思考されているように感じます。
おっしゃる通りかもしれません。研究とは別に、先ほど登場した鷲見くんが企画する水俣のスタディツアーにも参加し、今では運営メンバーの一人になっています。しかし、文学研究を専門としたわけではない、水俣に深く関われているわけでもない、という思いは常にあります。中心ではなく、周縁をぐるぐる回っている感覚です。だからこそ、もっとちゃんと知りたい、関わりたい、という思いから、様々な分野に手を伸ばしているのかもしれません。
——その周縁、あるいは「間」にいるという感覚が、研究の原動力になっている。
そうですね。例えば地球研に行くと、「これ、哲学的にどうなの?」「ハイデガーだったら、なんて言うと思う?」と無茶ぶりをされることがあります(笑)。専門家同士の集まりでは、そんな大雑把な問いは投げかけられません。でも、その問いに答えようとすると、ハイデガーの言葉をそのまま引用しても、「で、どういうこと?」となって、伝わらない。結局、その間にいる自分が、自分の言葉で応答せざるを得なくなるんです。
——「自分の言葉で語る」というのは、何もないところから生み出すのではなく、その「間」で応答することから生まれてくるということなんでしょうね。
ええ。自分という確固たるものがあるというよりは、その間にいて、どう応答できるのか。そこから自分の言葉は出てくる、という実感があります。これからも、その感覚を大切にしながら、思考を続けていきたいと思っています。



