このインタビューは全3回シリーズ
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ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第五十五回となる今回のインタビューでは、名古屋大学大学院情報学研究科を拠点にAI倫理・動物倫理の学際研究に取り組み、動物倫理学会の立ち上げや行政・専門家委員会への働きかけを通じて社会制度の変革を目指す、竹下昌志さんにお話を伺います。

境界線を問い直す——中途半端さという武器

最初はレジュメの切り方すら分からず、ただの引用の羅列になってしまって、「自分はいかに表面的な文字面しか追えていなかったか」を痛感しました。でも、そこからは「量」でねじ伏せました。他の優秀な研究者が作るレジュメを盗み見て、かれらがどう議論を再構成し、どこにクリティカルな問いを立てているのかを学び、自分でもアウトプットを続けました。こうした独学のスタイルは今も続いていて、心理学の知見が必要だと思えば、100日間毎日1本心理学の論文を読んでポストする「100本ノック」も自分に課したりします。過去の独学体験が、現在の学び方にそのまま生きているんです。

人文学の執拗な「精読」の文化と、エンジニアの「構造化」の視点。この両極を往復することで、私独自のスタイルが形作られていきました。

——その「中途半端さ」を厭わずに突き進む姿勢こそが、今の竹下さんの武器なのですね。

私は自分を「徹底的に中途半端な人間」だと思っています。でも、AIもやる、哲学もやる、心理学もやる。それぞれの分野で100%のプロパー(専門家)にはなれなくても、その境界線を往復し、中途半端なまま徹底的にやり抜くことでしか見えない景色がある。専門分野のディシプリン(規律)に閉じこもって「他の分野の作法は分からない」と線を引くのは、私にとっては知的な機会損失でしかないんです。

——現在の研究テーマである「AIと動物」という組み合わせ。これは竹下さんの中で、具体的にどう結びついているのでしょうか。

一見すると遠い領域に見えますが、私の中では「差別と抑圧の構造」において完全に一致しています。AIが学習データに含まれる偏見を増幅させてしまうジェンダーバイアスの問題と、工場式畜産で年間数十億もの命をモノのように扱う構造。どちらも、社会が「ここは差別してもいい存在だ」と不当に引いた境界線の問題なんです。私は数理的な分析と倫理的なロジックの両方を用いて、その境界線を問い直したい。

——単なる学術的関心を超えて、社会制度への非常に強いコミットメントを感じます。

倫理学をやって論文を書き、本を出版する。それだけでは足りない、さらにもっとしなきゃいけないと感じているんです。啓蒙活動も大切ですが、それではあまりに悠長すぎると感じるんです。世界では年間数十億の動物たちが、今この瞬間も工場型畜産のラインで殺されている。この凄惨な現実を前にして、「本を書いて誰かが気づいてくれるのを待つ」という選択肢は私にはありませんでした。

だから私は、学問の殻に閉じこもるのではなく、行政や専門家委員会といった「制度を決定する場」に直接関わっていきたい。専門家として、科学的な知見と冷徹な倫理的ロジックの両方を携えて、法や規制のデザインに直接食い込みたいんです。

——しかし、実際の社会は「顔とメンツ」や既得権益、あるいは「変えたくない」という人々の慣性に支配されています。そこへどう立ち向かうつもりですか。

「対話」を捨てないこと、これに尽きます。私はヴィーガンとしての生活を8年続けていますが、周囲からは常に質問や批判の嵐にさらされます。でも、私はそれを苦にしません。むしろ「なぜ変えたくないのか」という相手のリアリティを徹底的に聞くようにしています。

例えば、最近仲間と一緒に立ち上げた動物倫理の学会では、あえて研究者だけでなくアクティビストや一般市民も同じテーブルに招きました。そこで取り上げたのは「クマの駆除問題」です。かわいそうだと叫ぶ側と、現場で恐怖に直面する側。大抵は感情論のぶつかり合いで終わりますが、私たちはまず、クマの被害数や生態といった経験的な事実を確認し、次に倫理学的な論点を整理した上で、全員でグループディスカッションを行いました。

——感情的な反発を、論理的な対話へと変換する訓練ですね。

そうです。私が一方的に教える「啓蒙」ではなく、お互いの立ち位置を理解するための「促進」です。理想論で終わらせるつもりは毛頭ありません。50年後、日本から残酷な動物実験や工場型畜産がなくなっている未来。それを実現するために、今は3年スパンで「今、この瞬間に取れる最善の手段」を更新し続けています。

将来の自分をガチガチに規定はしません。新しい面白そうな知見があれば、私はすぐにそちらへ飛びついてしまうから(笑)。でも、高校時代のロボット製作で味わった「なぜ動かないのか」という物質への苛立ちと、Twitterの論争で触れた「なぜこの論理は正しいのか」という驚き。その二つの熱量を持ち続けながら、工学的な一直線のロジックと人文学の深さ、その両方を行き来し続けたい。博士号を「情報科学」で取得したエンジニアでもある私にとって、工学×人文学の学際性こそが自分の核にあるものだと感じています。その先に、今より少しだけましな社会があると信じています。