ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第五十回となる今回のインタビューでは、東京大学大学院学際情報学府にてトルクメニスタンの政治・メディア・情報統制を研究対象とし、計量テキスト分析やデジタルアーカイブといった情報学的手法を人文地域研究に応用している、鈴木朝香さんにお話を伺います。
「死ぬことさえ許されない」——情報統制の国で命がけで見た現実を、データで証明する
——そうして現地に深く溶け込み、充実した留学生活を送っていた矢先、2020年の新型コロナウイルスパンデミックが発生します。世界中がパニックになる中、情報統制下のトルクメニスタンはどのような状況だったのでしょうか。
あの時期のことは、思い出すと今でも動悸がするほどです。現実が歪んでいくような感覚でした。
世界中で感染爆発が報じられる中、トルクメニスタン政府は「国内にコロナウイルス感染者は一人もいない」という公式見解を示しました。国境を封鎖し、国内の移動も制限しているから、国内にウイルスは入っていないと。実際には、大使館関係者から感染者が出ているという噂もあれば、熱を出した知人が警察に連れて行かれたという話も聞こえてくる。
それでも、表向きの世界では「トルクメニスタンは安全な国」であり続けなければなりませんでした。
——目の前で起きている異常事態と、公式に語られる「真実」が完全に乖離している状況ですね。現地の友人たちはどのような反応を?
それが一番恐ろしかった点です。どんなに親しく、批判的な視点を持っている友人であっても、公の場では決して政府のナラティブ(物語)に逆らいません。「コロナの脅威なんてない」「安全な国にいられて幸せだよね」と、お互いに言い聞かせるように振る舞うんです。
彼らにとって、それは生存戦略そのものでした。もし異を唱えれば、自分だけでなく家族や親族まで危険に晒される。だから、全員で「裸の王様」の芝居を打ち続けるしかないんです。
——その「芝居」の中に、日本人留学生である鈴木さんも巻き込まれていったわけですね。
はい。もし私が発熱したらどうなるか。当然、適切な医療は受けられないでしょう。「存在しない病気」にかかった人間として、どこか隔離施設に連れて行かれ、最悪の場合は消されてしまうかもしれない。
それ以上に怖かったのは、私の身に何かあったときに、その影響が私と接触していた友人たちにも拡がる可能性でした。「あいつは問題のある外国人と関わっていた」というレッテルを貼られ、彼らの人生を台無しにしてしまうかもしれない。
さらに、私の留学は日本とトルクメニスタンの国家レベルの協定に基づくものだったので、私が騒ぎを起こしたり、あるいは絶望して自ら命を絶ったりすれば、留学を受け入れてくれた現地の先生方の立場も危うくなる。特に、お世話になっていた先生には生まれたばかりのお子さんがいました。私のせいで、あの子から親を奪うことになるかもしれない。そう考えると、逃げ出すことも、助けを求めることも、死ぬことさえも許されない状況でした。
——八方塞がりですね。「死ぬことさえ許されない」という言葉が重いです。
当時、私の頭の中には4つのシナリオが浮かんでいました。
1つ目は、発熱して当局に連れて行かれ、私の存在自体が闇に葬られること。
2つ目は、コロナに感染して、治療を受けられずに孤独に死ぬこと。
3つ目は、恐怖とストレスで精神的に限界になってしまい、政府批判などを叫んで処罰されること。
4つ目は、運良く生き延びること。
このうち3つが「死」につながる道でした。確率論で言えば、もう助からないかもしれない。いっそ自分で終わらせたほうが楽なんじゃないか、と本気で考えた時もありました。
——精神的に極限まで追い詰められていたのですね。そこからどうやって正気を保ち、帰国まで耐え抜いたのですか。
母の存在が大きかったです。「これは命令です。生きて帰りなさい」と。
母も、原因不明のめまいで寝込むほど心配していたそうですが、私には毅然と「生きろ」と命じてくれた。そして、日本の大学の先生からも「何もしなくていい、成果なんてなくていいから、とにかく生きていてください」というメールが届きました。
「生きて帰ること」それ自体がミッションなんだと思い直し、感情を殺して、ひたすら「健康で幸せな留学生」を演じ続けました。最終的に、臨時便で帰国できたのは7月のことでした。
——壮絶なサバイバルを経て、ようやく日本に帰国されたわけですが、安堵感ですぐに元の生活に戻れたのでしょうか。
いいえ、全く戻れませんでした。帰国後も2年くらいは、現地の感覚が抜けなくて苦しみました。
例えば、こうしてオンラインで取材を受けたり、大学の授業で発言したりする時も、「この通話は盗聴されているんじゃないか」「こんな政権批判めいたことを言ったら、明日誰かが家に踏み込んでくるんじゃないか」という恐怖が反射的に湧き上がってくるんです。
指導教員の先生が冗談めかして「日本も最近は権威主義的だよね」なんて言うと、画面の向こうの私は顔面蒼白になって、「先生、そんなことを言ったら消されますよ!」と本気で心配してしまう。それくらい、トルクメニスタンの情報統制と監視の恐怖が、私の内面に深く刻み込まれていました。
——PTSDに近い状態だったのかもしれませんね。そこから、現在の研究テーマである「情報統制」や「テキスト分析」に向かわれたきっかけは何だったのですか。
悔しさ、ですね。日本に帰ってきて自分の体験を話しても、多くの人には理解してもらえませんでした。「いくら独裁国家でも、そこまでするわけがない」「それはあなたの思い込みでしょう?」「大げさに言ってるんじゃないの?」と、個人の主観的な体験談として片付けられてしまうことが多かったんです。
自分が命がけで見てきた現実を否定されるのは、自分の存在そのものを否定されるような苦しみでした。
「だったら、誰もぐうの音も出ないような客観的なデータで証明してやる」
そう決意しました。あの国の異常さを、私の感情ではなく、数字と論理で白日の下に晒してやる。一種の復讐心にも似た「リベンジ」の感情が、私を研究へと駆り立てました。
——感情を排したデータこそが、最大の武器になると考えたわけですね。
はい。最初は北海道大学のスラブ・ユーラシア研究センターなど、地域研究の王道を行く道も考えました。しかし、学部時代の指導教員や、後に師事することになる先生方からのアドバイスもあり、東大の学際情報学府に進むことにしました。
「君はもう地域研究の現場感覚は持っている。次に必要なのは、その経験を相対化し、説明するための武器(ディシプリン)だ」と言われたんです。そこで、情報学や統計的な手法を学び、現地のプロパガンダを分析することにしました。
——具体的には、どのような手法でトルクメニスタンの「嘘」を暴こうとされたのですか。
ロシア語で書かれたトルクメニスタン関連のニュース記事を大量に収集し、【共起分析】や【トピック分析】という計量テキスト分析の手法を用いて解析しました。
簡単に言えば、「コロナ」という単語が「いつ」「どんな言葉と一緒に」「どんな文脈で」使われているかを徹底的に洗い出したんです。
すると、面白いことが分かりました。トルクメニスタンのメディアは、「コロナ」という単語を全く使わないわけではないのです。しかし、使う時は必ず「国外のニュース」として、あるいは「WHOの指導に基づく予防措置」という文脈でのみ使用しており、「国内の感染」に関する文脈では徹底的に回避していることが、データとして可視化されました。
——鈴木さんが現地で肌で感じていた「語られなさ」や「不自然な沈黙」が、データの偏りとして見事に証明されたわけですね。
その分析結果が出た時、ようやく「パズルが埋まった」と感じました。私が現地で感じていた違和感や恐怖は、私の妄想ではなく、国家によって緻密に構築された情報統制の結果だったんだと。データが私の体験を肯定してくれた瞬間でした。これでようやく、本当の意味でトルクメニスタンから「帰国」できたような気がします。
最後は現在の取り組みについて伺います。





