ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第五十回となる今回のインタビューでは、東京大学大学院学際情報学府にてトルクメニスタンの政治・メディア・情報統制を研究対象とし、計量テキスト分析やデジタルアーカイブといった情報学的手法を人文地域研究に応用している、鈴木朝香さんにお話を伺います。
「レアな人材」になりたかった——自信のなさと好奇心が、秘境への扉を開いた
——本日はお忙しい中、ありがとうございます。鈴木さんは現在、東京大学大学院でトルクメニスタンの政治やメディアに関する研究をされていますが、その経歴は非常にユニークです。トルクメニスタンという、日本人には馴染みの薄い国を選ばれた背景には、どのような思いがあったのでしょうか。
よろしくお願いします。実は、トルクメニスタンを選んだ理由には、極めて戦略的な計算と、どうしても抑えきれない好奇心という、二つの側面がありました。
まず戦略的な面からお話しすると、当時の私は自分に全く自信がなかったんです。就職活動を控えて、「自分には何の能力もない」と焦っていました。それなら、誰もやったことのない経験、誰も持っていない「トロフィー」を手に入れれば、それが自分の価値になるんじゃないか。日本人がほとんどいないトルクメニスタンに行けば、それだけで「レアな人材」になれる。そんな計画がありました。
——意外です。留学体験記などを拝見すると、勇気ある留学生という印象を受けますが、当時はそこまで自己評価が低かったのですか。
はい、本当に低かったですね。私は埼玉県の公立学校出身なのですが、小中学校はあまり良いとはいえない教育環境でした。いじめも日常的にあり、目立てばターゲットにされる。そんな中で、いかに気配を消し、周りの空気に同調して「普通」でいるか、という処世術ばかりが身についてしまいました。
それに、母の影響も大きかったと思います。母はとても現実的な人でした。「あなたたちは普通の子どもなんだから、学者になんてなれるわけがない」「普通でいいんだよ」と言い聞かされて育ちました。母なりの愛情で、高望みをして傷つかないようにという配慮だったのかもしれませんが、私の中では「自分は大した人間じゃない」という意識が刷り込まれてしまったように思います。
——「普通」であることを求められ、それに過剰に適応してしまったと。
そうです。高校に進学してからも、たまたま入部した陸上部にオリンピック強化選手レベルの同級生がいて、ますます圧倒されてしまいました。上には上がいるという現実と、周りに合わせて自分を殺してきた経験が重なり、常に「自分には何もない」という虚無感を抱えていました。だからこそ、物理的に誰も知らない場所、「ここではないどこか」に行けば、何かを得られるのではないかという期待があったのだと思います。
——自信のなさを埋めるための「秘境」への留学だったわけですね。一方で、もう一つの理由である「好奇心」については、どのようなものだったのでしょうか。
根底にあったのは、幼い頃からの「未知の世界への憧れ」です。母は私たちに「普通」を求めつつも、自身は文化人類学や民俗学に関心があり、家にはそういった本がありました。特に、作家の【上橋菜穂子】さんの作品、例えば『精霊の守り人』シリーズなどは大好きで、何度も読み返していました。
彼女の作品に出てくる、架空の国の人々の生活描写——例えば、山岳地帯に住む人たちがどんな作物を育て、どんなスープを飲み、どんな薬草を使うかといった細部のリアリティに、強烈に惹かれたんです。
——上橋先生ご自身が文化人類学者でもありますから、その描写の解像度は素晴らしいですよね。物語の世界に入り込み、その土地の論理で生きる人々の姿に憧れていたと。
まさにそうです。外務省のホームページに載っているような「国家」としての情報ではなく、そこで実際に毎日ご飯を食べ、笑い、泣いている人々の「生活」を知りたかった。
留学前、学生団体の活動でカンボジアに滞在したことがありました。その時、スラム街での支援活動中に、泥だらけになったタオルを洗う作業が発生しました。現地のスタッフや他のボランティアの学生たちは、私を「日本から来たお客様」として扱い、汚れる仕事をさせまいとしました。でも、私はそれが嫌で、一緒になって泥水に手を突っ込んでタオルを洗ったんです。
そうしたら、現地のスタッフがふと、「朝香は私たちと同じ視点に立ってくれるね」と言ってくれた。それが本当に嬉しかったんです。「お客様」や「観察者」として一線を引くのではなく、同じ目線で、同じ汚れに触れること。それが私の求めている関わり方なんだと確信しました。
——そのスタンスは、トルクメニスタンでも貫かれたのでしょうか。
はい、そうしようと必死でした。でも、トルクメニスタンでも最初はやはり「お客様」でした。寮で友人とご飯を食べていてもも「ゲストだから座っていて」と言われるし、食事に行けば「払わなくていい」と言われる。彼らにとっての最高のおもてなしであることは分かるのですが、半年も経つと、その優しさが逆に壁に感じられてしまって。
ある時、思い切って友人たちに言いました。「私はあなたたちのゲストじゃなくて、友達なんだよ。だから同じように扱ってよ」と。例えば、みんなで餃子(マントゥ)のような料理を作るときも、具を包む楽しい工程だけでなく、粉まみれになったボウルを洗う後片付けまで一緒にやりました。
——「楽しいところ」だけでなく「面倒なところ」も共有することで、対等な関係になろうとしたのですね。
そうです。片付けをしながら、「砂漠の国なのに意外と大胆に水を使うんだな」とか「乾燥してるから拭きは甘くていいんだな」とか、そういう身体的な感覚を共有することで初めて、彼らの生活の輪郭が見えてくる気がしました。そうやって少しずつ信頼関係を築き、彼らが普段は口にしない本音や、生活の知恵を教えてもらえるようになっていきました。
次回はコロナ禍での経験について伺います。




