Q1-2. 博覧会といえば、東京で開かれたものが有名なイメージですが、どうして金沢の博覧会だったのでしょう?

ある日、地元に帰省していたとき、親戚のおばちゃんに「最近博覧会に興味があって」と話すと、「昔、親族の家に、内国勧業博覧会に出品するために、東京から技術者を呼んで技術を学んだうえで地元で作られた刺繍のハンカチがある」という話を聞かされたんですね。そのときに「そっか東京ばかりじゃなくて地方という軸もあるよな」と思いました。

その話を自分の所属コースのとある教授(ロバート・キャンベル[1] … Continue reading)にしてみたら、「そもそも地方でも博覧会が行われていた」という事実を教えてもらいました。では地元や近くの地域でやられていた博覧会ってどんなだったのかな?と気になり、そこが卒論ひいては修論の軸足になりましたね。

選んだ地域は石川県金沢市。上京して東京にいながらも出身地域(アイデンティティ)のことをよく考えていたので、親和性のあるテーマだと思ったのかもしれません。どうして直接の出身である富山県にしなかったかは、「金沢のほうが富山より文化的に豊かだし(※加賀百万石ですから)調査のしがいがあるっしょ」くらいのテキトーな見立てで、それはのちのち諸先生方からツッコミの嵐となりました(笑)

▲兼六園。明治5年・7年の金沢地域博覧会の会場になった。

ーー 地方博覧会は研究が進んでいる分野なのでしょうか?

量はすごくあるのですが、地域ごとにバラけている印象ですね。その原因の一つとしては全体を俯瞰するのが難しいという理由があげられます。

後で話すように金沢についてはかなり深められたと思っていますが、他の地域までは手がまわりませんでした。

次回は具体的にどのような手順で研究を進めたのかについて伺います。

References

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1 アメリカ合衆国・ニューヨーク出身の日本文学研究者。元・東京大学大学院教授。現在は早稲田大学特命教授。19世紀(江戸後期~明治前半)の漢文学と、それに繋がる文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。