——帰国後は、現地に行けない状況下でコーパス(大規模な言語データ)を用いた研究にシフトされました。この切り替えの早さも、林さんの戦略的な一面を感じさせます。

コロナの影響もありましたが、言語学全体の潮流として、データを客観的に分析する手法が加速していた時期でもありました。私は指導教官にも恵まれ、学部の頃から学会発表の機会をいただくなど、比較的「型」が確立された中で研究を進めることができました。

ただ、これは私自身のコンプレックスでもあるのですが、自分は研究生活を「効率よく送りすぎている」のではないか、というモヤモヤも常に抱えています。

——「効率が良すぎる」ことが悩みになる、というのは、実直に苦労されている他の研究者から見れば羨ましいようにも聞こえますが。

おっしゃる通りかもしれません。周囲を見渡すと、自分の人生と研究対象が分かちがたく結びついている「実存タイプ」の研究者がたくさんいます。研究がうまくいかないと自分の価値まで否定されたように病んでしまう、それほどまでに切実な情熱を注いでいる人たちは、私から見れば非常に格好良く映るんです。

私の場合、フィリピンという国も人も大好きですが、研究対象としてはどこか客観的に、ドライに切り分けている部分があります。「人間味がなくても、言語としての構造が面白ければ研究として成立してしまう」という自分の姿勢に、どこか冷たさや物足りなさを感じていた時期もありました。

——ですが、それは裏を返せば、非常に「健康的」な研究者像であるとも言えませんか。

そう言っていただけると、少し救われる思いです。情熱を燃やし尽くして燃え尽きてしまうのではなく、知的な好奇心をリソースとして適切に配分しながら、長く続けていく。それは一つの生存戦略なのかもしれません。

かつてはもっと人間味に溢れた研究に憧れた時期もありました。でも、今の私にはこの「機械的」とも言える分析アプローチが、私自身が誠実に言語と向き合える方法なのだと、ようやく受け入れられるようになってきました。

最後は今後の展望を伺います。