適切な問いを立てる

さて、人文学を行う上で、そして学問全般に取り組む上で、最も重要なこと・求められる能力は「適切な問いを立てること」「適切な問いを立てる力」にほかなりません。といってもこれだけでは何を言ってるか分かりづらいでしょう。

そもそも適切な問いを立てるとはどういうことでしょうか。何が適切で、何が不適切な問いなのでしょうか。そして問いとはなんでしょうか。

先に「問い」についてだけ説明をしておくと、「なぜだろうと疑問に思うこと」と考えてもらって問題ありません。そして疑問(=問い)およびそこから導き出される結果が学問として成立するためには、次に説明する「適切さ」が求められるというわけです。

「適切さ」は大きく分けて「新しさ・正しさ・面白さ」の3つの方向性で捉えられます。です。まず「新しさ」についてですが、これは既に提唱されている理論や仮説に対して挑戦する姿勢はもちろんのこと、自分の研究をその上に積み重ねていくような態度が必要だということです。いくら重要な発見だろうと、既に過去の研究者が提唱済で、理論化されているものであれば二度同じことを言っているだけなので学問としては意味がありません。

続いて「正しさ」です。上でも述べたように、こと人文学における正しさは非常にシビアな問題です。ここで正しさを保証する方法について、一つ答えらしいものをあげるとすれば「その当時の研究者が恐らく正しいだろうと結論づけたもの」が正しいとされるのであってそれ以上ではありません。

最後に「面白いか」についてですが、こちらもまた厄介な問題です。ここまで説明した通り「新しく、正しい」理論や仮説を提唱したとしても、最初の言い方をすれば問いを立てて答えを見つけたとしても、そこからさら今後の研究者が上に研究を積み上げていけるようなものでないと学問として評価されるわけではありません。