ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第六十四回となる今回のインタビューでは、幸田露伴を出発点に、明治文学の口絵・挿絵から文学と美術のつながりを読み解く「画文学(がぶんがく)」を提唱している、出口智之先生にお話を伺います。
絵のページはいらない
——出口先生は日本近代文学と美術を横断する「画文学」の研究者でいらっしゃいます。私が学部生の頃、文学と美術を照らし合わせながら読み解く先生の演習に出席して、衝撃を受けたのを覚えています。この研究にたどり着くとは、ご自身も思っていなかったそうですね。
まさかですね、本当に。僕自身、研究者になろうという意識は全然なくて、自覚としては、なんとなく流されるままにきてしまった感じなんです。妻に言わせると、学部時代から「当然研究者になる以外ないでしょ」と見えていたらしいんですけれど。
——では、子どもの頃、将来「研究者」になるとは想像もしていなかった。
将来の像って、見えないじゃないですか。小学生の頃から本は好きだったので、物書きになりたくて。でも小学生にとって物書きって、作家か新聞記者ぐらいしか想像がつかなかったので、学者になろうという意識はまったくありませんでした。
——文章を読むのも書くのも好きだった。とすると、学校の作文の宿題もあまり苦ではありませんでしたか?
作文は苦じゃなかったけど、夏休みの読書感想文は最悪でした。泣きながらやりました。課題図書を読んでも全く面白くなかったので、感想なんて特にないんですよね。母親に「どうしたらいいか分からない」と言ったら「お父さんに聞きなさい」とパスされる。父は父で、僕を本屋に連れて行って『読書感想文の書き方』というマニュアル本を1冊買って渡しただけ。夏休みは毎年半泣きどころか十泣きぐらいで、かんしゃくを起こして原稿用紙にうわーっと書き殴った跡が、いまだに実家の机に残っているぐらい嫌でした。
——それだけ嫌いだったのに、今は本を読んで何か書くことが仕事になっているんですよね。
びっくりですよね。ひとつには、与えられた課題図書ではなく、自分で本を選べるというのが大きいと思います。それに論文は、課題図書を読んでひねり出す感想じゃありませんし。そのテーマだけでなく、多方面にわたる読書と勉強で蓄えた知識や、大量の調査結果や、普段から日常的に行っている思考や、何やかやを背景として、そこから必要な部分を凝縮させて文章にするものなので、読書感想文とは方向性が違います。
——絵の方はいかがでしたか。今は挿絵研究もされていますが。
実を言うと、絵は好きじゃありませんでした。自分が下手で描けないのがまず嫌いで。小学生の頃は本を読むのは好きだったんですけど、文章が好きなあまり、挿絵のページなんかいらないとさえ思っていました。「絵のページがなければもっとたくさん読めるのに」とずっと思っていました。
——まさかの、挿絵不要派だったんですね(笑)。それが変わったきっかけは何だったんでしょう。
高校時代、名古屋市美術館でやっていたターナー展(テート・ギャラリー所蔵 ターナー展)を観て、めちゃめちゃ感動したんです。1997年、高校1年の時でした。そこから少しずつ絵が好きにはなってきたんですけど、大学の学部時代にはまだ美術の授業はほぼ取っていなくて、どちらかというと小さいころからピアノを習っていたので音楽の方が好きでした。高校では軽音楽部と合唱団を掛け持ちしていましたし、市民合唱団にも参加していました。大学のサークルも合唱です。
——文理選択の頃はどうだったんですか。
数学が決定的にダメで、理系科目は全部ダメでした。でも今にして思うと、僕の思考様式は理系の方が近いんですよ。抽象的なことより具象的な論理性の方が好きで、自然科学の知識も実験もすごく好きだった。いまでも、自然科学や情報学は基本的に好きです。何がダメだったかというと、なんと四則演算ができなかった。考え方や現象への興味はあるのに、計算で全部答えを間違えてしまって、どうやってもテストで正解できない。数の感覚がそもそもないんだと思います。
好きな科目は社会科で、その中でも歴史が大好きでしたね。
——どうして歴史がそんなに好きだったんでしょう。
歴史の中には物語があって、人が動いている。たとえば平安朝の貴族でも、ローマ帝国でも、「ああ、この人こういう感じね」と想像するのが好きだったんです。社会の流れや経済より、そこに生きている人たちと、その人生が好き。
でもそれって、教科の区分としては歴史に含まれるというだけで、歴史学者に向いているわけではないんですよね。人間の機微が好きなら、それは文学なんです。
——そのギャップ、面白いですね。教科としては歴史だけど、その中でも関心があるのは文学研究的なテーマだったりする。
当時はもちろんわからなかったですけどね。
——東大へは、どういう経緯で進学することになったんでしょうか。
僕は行き当たりばったりのフラフラっぷりが、人よりだいぶひどくて。まず、何も考えずに高校に進んだら、高校時代にパニック障害になりました。今はかなりよくなりましたが、まだ少し残っています。地元は名古屋近郊のかなり⽥舎の町で、中学受験なんて誰もしない環境でした。そんな町からの高校受験なので、何もわからず、親の⾔うままに名古屋有数の進学校を受験して、たまたま受かっちゃったら、周りは「めっちゃ頭良さそうなやつ」ばかりで。成績上位だった地元の公立中との落差に、「こんなとこでは絶対にかなわない」となって、学校に行くとすぐに気分が悪くなり、保健室登校が続きました。
授業を聞いていないから成績もどんどん悪くなって、高2の12月の実力テストでは、特に英語・数学は学年の下位グループでした。
次回は、通学路でかけられた先輩の一言から東京大学をめざすまでと、消去法の果てに幸田露伴に行き着くまでを伺います。






