個人的なところから普遍的なところまで昇華していった感じが面白いですね。もともとは教育哲学の専攻だったということですが、自分の過去を振り返る営みが、どうやって今の哲学のディシプリンにつながっていったのでしょうか。

少し遡るのですが、僕の高校1,2年のときにオウム真理教の事件と秋葉原通り魔殺人事件がありました。その加害者が自分とかけ離れた存在とは思えなかったというか、僕と彼らの差が些細なものでしかなかったということに対する恐怖のようなものを感じたんです。

中学生までは本当に不真面目な生徒だったんですが、それからその環境が人の人生に与える影響というところに興味が出てきて、意識の高いこと(笑)を考えるようになりました。哲学などの選択肢もあったんですが、研究室の先生方の研究内容などをみて、やっぱり自分の中では教育哲学が近いなと思いました。

ただ、教育批判とか自由主義的な話とか学部生のころはそういった興味もあったんですが、修士課程に入ってから結局、先ほど述べた自分の悩みに問題意識が向いてきました。

教育哲学といっても、割とディシプリンが曖昧なところだったので、自分は色んな本を読んで、教育の現場にいって色んな人と会って、他の人の経験も吸収して問題を構築してきました。その上で、自分のさまざまな経験を通して徐々に浮かんできた問題意識をフレーム化してくれるのに役立ったのが、修論で扱ったベルクソンの哲学でした。

次回は具体的にどのような手順で研究を進めたのかについて伺います。