Q5-1. 大学の外で学ぶ上で難しい点はあるでしょうか?

史料言語が読めて、研究文献を入手できれば、文系の学問は基本的にはできそうな気はします。先述のBnFのGallica、中国のCNKIなど、いまや研究文献はデジタル化が進んでいます。まだ十分ではない部分もありますが、将来的にもっと便利になるかもしれません。

戦前の例でいうと、丸石製薬の社長の子・石濱純太郎は、京都帝国大学の内藤湖南に師事して大学の外で東洋史研究をしていました。そもそもモンゴル帝国史は、大学で研究が行われる前に、明治時代に“元寇記念碑運動[1]明治時代に湯地丈雄が国民意識の昂揚のため元寇の舞台となった博多に記念碑を建てようと全国を遊説し、国民から募金を集めた運動。”という運動が民間で盛り上がり、モンゴル帝国史研究も民間で盛んに行われた時期があります。同運動の代表的人物・湯地丈雄は、もともとは警察署長でしたが、職を辞して、自分で現地調査や文献調査、執筆活動をしていました。

ただ、歴史学で最もネックになるのはトレーニングです。歴史は、基本的に事実はひとつしかないはずですが、見方はいくつもあります。そして、タイムマシンがあるわけでもないので、厳密な意味での現地調査はできません。そのため、一つの見方だけが正しいと完璧に証明することは難しいんです。

そこで、なるべく偏らない、複眼的なものの見方をしないといけない。そのためには議論が必要です。そうした意識が共有されるようになって、歴史学はここ数十年で大きく変化してきました。昔は、誰がみても100%正しい歴史像があると思われていましたが。

自分が扱おうとしている歴史的なことがらや史料を、いかに客観的・冷静に慎重に取り扱うか、といった感覚は、ひとつの史料を目の前にしてそれをどう解釈すべきか、色々な角度から絶えず問い直すというトレーニングを積む必要があります。研究者も、対話に力を入れることで、ひとりよがりな解釈に陥ってしまわないように気をつけています。個人で学ぶ・研究するときも、そうしたネットワークにいかにつながるかが重要です。講演会や市民講座などで対話をしてみたり、他の人の前で発表したりして、批判を加えてもらうのが良いと思います。

ーー確かに、大学にいると、授業や読書会でそういった場が自然と担保されていますね。

逆に、大学ではなかなかやらないことで、大学の外でできることもたくさんあります。たとえば歴史漫画におけるモンゴルイメージの変遷とか、アジア各国におけるモンゴル帝国イメージの比較とか。日本以外にも朝鮮半島、ベトナム、ジャワとかにも蒙古襲来がありましたし、それらとも比較ができると思います。

他には、食文化史なども、歴史文献を読むだけでは難しい。私は“ういろう”の起源がモンゴル時代にあるのではないかと思っていろいろ調べていますが、どうやら文献を読み解くことの難しさだけではないようで。ういろうとか食文化史をやろうとすると、食べ物や薬品といった、特定のモノに関する知識が必要になります。逆に、そうした知識を持つ人が研究するという場合もありますね。例えば、香料関係の仕事から研究の道に入った山田憲太郎[2]小川香料(香料会社)勤務ののち、東アジアの香料史および東西交通史を研究した人物。はよく知られています。特定のモノに着目する場合、そのモノに詳しかったり、かかわりが深かったりする人は、歴史学研究に独自な貢献ができると思います。

ーー自分の職業やバックグラウンドが、思わぬ角度から研究に貢献することもあるんですね。

References

References
1 明治時代に湯地丈雄が国民意識の昂揚のため元寇の舞台となった博多に記念碑を建てようと全国を遊説し、国民から募金を集めた運動。
2 小川香料(香料会社)勤務ののち、東アジアの香料史および東西交通史を研究した人物。