──なるほど、では「ダイナミズム」とはどういう意味ですか?

こうした大正時代における国家を相対化する営みは、政治だけでなく、経済・学問・芸術・教育などのさまざまな分野で生じていました。そしてそれらは相互に関係しあいながら、大正時代の思想潮流を作り上げています。私はその関係のあり方に関心があります。ここではそれを「ダイナミズム」と表現しています。

──関を研究するとその「ダイナミズム」がわかるのでしょうか?

どうでしょう、そこまで言えるかどうかは今後の研究次第です(笑)ですが、関に注目することで、政治と学問の二分野の関係を明らかにする手がかりが得られるのではないかなと考えています。というのも、関はこの二つの分野を横断して活躍した人物なんです。

関は高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業した後、大蔵省に勤めるのですが、一年で辞めて、その後は社会政策学者として活躍しました。学者としての専門性が評価されて大阪市にヘッドハンティングされ、最終的に大阪市長になります。前半生は学者として、後半生は政治家として生きた人物だったわけです。学問と政治の二つの分野で活躍した彼の思想を追いかけることで、大正時代の「ダイナミズム」のひとつの側面を示したいなと考えています。

▲関一(1873-1935)

──ありがとうございます。次に研究の背景について聞いてみたいのですが、今の研究への興味はどこから出てきたんでしょうか

そうですね、大きく二つあると思います。ひとつは昔からですが、国家というものに漠然と興味を抱いていました。大学卒業後に役人の道を選んだのも、国家を中から見てみたいと思ったからです。

もうひとつ、この漠然とした興味が今のテーマにつながったのが、役人の時に関わった法改正です。複数の法律を改正等しようとするときには、これらを束ねて一本の法律案として提出します。これは「束ね法案」と呼ばれるのですが、私が関わった法案が束ねられた「束ね法案」の中に健康保険法がありました。そこで健康保険法が大正時代に作られた法律だと知り、なぜこのタイミングだったのだろう?と疑問を抱きました。それが大正時代に興味をもったきっかけです。

次回は具体的にどのような手順で研究を進めたのかについて伺います。