ーー哲学出身者が哲学を否定するとは、ちょっと驚きです。

吉田だけでなく、吉田の同時代にはそういう論調が高まっていたみたいですね。哲学的教育学への批判の高まりは、実験心理学が日本に根づいていった時期と重なります。

「人の心や脳のことは、実験心理学のような科学的な方法を用いて解明していきましょう。教育学も、そういう科学的心理学にもとづくべき。それにひきかえ哲学は、学者が頭の中であれこれ考えているだけで科学的じゃないですよね」というわけです。

実はベルクソンの最初の著書は、哲学の側から心理学側への批判でした。心理学で用いる時間の概念──1分、1秒、1時間と区切られた時間──があまりにも物理学っぽすぎる。私たちが体験する時間は、分割できない“持続(duration)”なのでは?と提案しました。このようなベルクソンの問題関心とも重なる議論の状況が、近代日本にもあったのが面白いと思いました。教育分野で、哲学と心理学の座席争いがあった時代のことはあまり熱心に議論されていなかったので。

ーー 吉田熊次をとりあげつつ、やはりベルクソンとの縁が切っても切れないですね。でも次第に、心理学といいますか、科学寄りの話も入ってきました。

さらに吉田熊次は、教育学は“陶冶の科学”でなくてはならないといいます。日本の教育学をどうにかしなくては、という危機感もありながら、吉田のいう“陶冶の科学”は学校教育という範囲にとどまりません。例えば政治学なども含まれます。自己形成に関わる学問なら、何でも“陶冶の科学”だというわけです。

ーー 陶冶の科学、先ほど出てきた「世の中何でも教育だ」とつながりますね。

そうですね。自分の研究テーマを包括的に説明してくれる言葉だと思います。