ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第三回は教育史研究のHさんです。

興味を持ったきっかけ

Q1-2. ベルクソン研究の背景も活かしながら、教育学の分野で研究をしていくことになったと。そこからどのように博士論文のテーマが決まっていったか、教えてください。

そもそもベルクソン研究、世界的にも日本でも流行っているんです。私が学部4年生のときに、ベルクソンの論集だけで2~3冊出版されています。日本でのベルクソン人気にも歴史があって、1910~20年代にかけて、日本で盛んに読まれていた時期がありました。夏目漱石もベルクソンの著書を読んでいたようですよ。教育者の間でも読まれていました。

▲アメリカのアーカイブで無料公開されていたPDFに書き込んだもの

そのような教育者のひとりに、及川平治[1]兵庫県明石女子師範学校教諭・附属小学校主事という人物がいます。現在の神戸大学附属小学校の前身校で教員をしていて、ベルクソンを熱心に読んでいたようです。しかし、すでに先行研究では、及川がベルクソン哲学を自らの教育実践の支えとしていたことは指摘されてはいたものの、具体的にどのような意味で及川において哲学が教育に活用されているのかということが、何を読んでもよく分からなかったという事情があって、修士論文で及川を取り上げることにしました。

及川が教員をしていた当時、ベルクソンと教育を関連づけて論じる英語の書籍が出版されていたようです。及川はその本のページに大量の書き込みをしていました。その本の書き込みを手がかりに、及川平治がベルクソン哲学をどう読んでいたのかを解き明かそうと試みました。

そうして修士論文を書き上げて、では次の博士論文ではいよいよベルクソン哲学を使って、教育について語るぞ!と意気込んでいたら、なんと研究室の同期学生が「ベルクソンで博士論文を書く」と宣言していて。じゃあ私はベルクソンはいいや、となりました。

ーーあれ、ではここでいったんベルクソン退場ですか。

いったん表舞台からは退場してもらいました。でも次に注目したのもベルクソンつながりで、吉田熊次という人物です。彼は、日本におけるベルクソンの初期の紹介者です。もともとカント哲学の研究者でしたが、海外留学から帰国して、東京帝国大学で教育学の教員になりました。それまで東京帝大では、外国から招かれた学者が教育学を教えていたので、日本人の専任教育学教員としては、吉田熊次が第一号にあたる人物です。

こういう背景から、吉田の中には「教育学とは何か?」という問いが常にありました。吉田著の論文「非「哲学即教育学」論」では、おそらく先述の及川平治らの論を念頭に置きながら、批判を加えています。論文の中で吉田は、自身が哲学を出自としているものの、「哲学をそのままやるのでは、教育のことについて考えることにはならない」と、哲学的教育学に対する批判的な姿勢を見せています。

References

References
1 兵庫県明石女子師範学校教諭・附属小学校主事