このインタビューは全2回シリーズ
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——リンガーヤタの思想の核心は、どういうものなんですか。

彼らがそのワチャナの中で主張したのは、カーストの廃止でした。シヴァに信愛を尽くすこと、そしてシヴァに擁かれ自分自身がシヴァと合一すること(神秘主義)において、同じシヴァ帰依者として何の違いがあるのか。「そこにカーストなど存在しない」と言うんです。それは同時に、抑圧されてきた貧困な低カースト民を救う「弱者救済」でした。

リンガーヤタにとって「労働は信仰」であり、「信仰は救済」です。貧困など、欠乏欠損状態(障害者や孤児も)の弱者はシヴァ神の顕現にも等しく、その欠損とは、自己の何かを切り取り誰かに与え救ったが故の欠乏と障害だとされます。つまり貧困や欠損・障害とは、シヴァの化身のスティグマなんです。救済を為した者には欠損・欠乏が生じますが、その人が次の化身として立ち現れリレーされる。シヴァの化身は固定化した「神々しい身分や階級」などではなく、救済とは逆の方向へと流れていく「流動性」だったんです。

——「寺院否定」の話も印象的でした。

その中でも「寺院否定」には感激しました。インドでは、宮殿,寺院などの人工の建造物や工場プラントなどは総称的に「スターワラ」と呼ばれます。建物の他に、「固定,停滞,偶像,蓄蔵,富財」としての意味もあります。シヴァ神は石造寺院の中に住んでいる訳でも、聖所に石像として突っ立っている訳でもないと、スターワラを否定します。

——寺院ではなく、自分の身体そのものが「シヴァの家」だと。

彼らにとって寺院とはその身体であり、自分の身一つそれ自体を「シヴァの家」(シヴァーラヤ)として捧げ、自己の中にシヴァ神(の帰依者全体)を宿すという感覚なんです。我が身を賭してシヴァ共同体のシェルターになる。このようなシェルター・庇護者は、「シャラナ」と呼ばれます。それはまさに「動くシェルター」なんです。特に、何ら所有せず自己を常にシューニャ(空)にしつつ、定住ではなくノマディックに救済活動に奔走する貧相な遊行者の状態を「ジャンガマ」と呼びます。ジャンガマとはスターワラとは正反対の概念で、言わば究極的な「流動性」を意味しています。

——それがいまの経済の話にも繋がるわけですね。

人々はよく「経済を回さなければいけない…」などと言いますね。でもね、真に循環する経済って、「救うことによって救われる」癒しの連鎖、流れるようなレジリエンスのリレーだとは思いませんか。私はそこに、株価や為替相場の天気予報とは異なる「経済」、「救済としての経済」を見ました。

単純な貨幣数量説モドキのアベノミクスや日銀による量的緩和政策が、どんなに株式市場を活性・拡大させたり、大企業の内部留保を強化したとしても、それはスターワラという不活・停滞の肥大化でしかありません。下層・末端の苦悩を癒すようなジャンガマ的な貨幣の流通速度への配慮が欠如したままです。12世紀南インドのワチャナに詠われたメッセージは、決して陳腐でも時代錯誤でもない、確かな重みを持っています。

——ちなみに、リンガーヤタ運動そのものはその後どうなったのでしょう。

結局は支配的政治権力からの弾圧を受け、終焉を迎えてしまいました。改革運動に集った人々は、幾つかのセクトに分派しながら今も存続しています。しかしながら、カースト否定を唱えた彼らは、結果的にカースト化してしまったんです。ちょっと空想的社会主義的皮肉ですが、カースト(同職婚姻集団)として一旦分節化すると、異質なものでもペロリと飲み込んで平然としている「多様性の統一体」インドの恐ろしさというか、逞しさに圧倒されてしまいます。

最後は故郷・気仙沼の原風景と、3.11後の巨大防潮堤批判、そして母たちの「舟迎え」から導かれる「多種救済の経済」の構想について伺います。