——もうひとつのお仕事、インダス文明の研究についても独自の関わり方をされていますね。

私はインダス文明の専門家ではありません。民族言語学者の長田俊樹先生(インド留学時代からの友人)が京都の総合地球環境学研究所で立ち上げた「環境変化とインダス文明プロジェクト」に、いわば「現場の繋ぎ役」として呼ばれたと自分では思っています。彼には「インド人とすぐ仲良くなって、スタッフ間の風通しを良くしてくれるから…」とか言われたと思います。

後に長田さんが、第一次南極観測隊の西堀榮三郎越冬隊長が佐伯富男に「いてくれるだけでいいから参加してくれ」と声をかけた時のような気持ちだった、と話してくれたことがあります。それは自分にとって、最大の賛辞でした。

——「いてくれるだけでいい」というのは、なかなか言われない言葉ですね。

ところがいざ共同研究者として活動してみると、自分自身の「南インド地域文化研究」にインダス文明がバシバシ絡んで来るんですね。以前から私は、リンガーヤタという南インドの特異なカースト集団のシヴァ神信仰と経済システムについて調査していました。実は、これまでに発掘された小さなインダス印章の中にシヴァの原型と推察される図像(プロト・シヴァ)や、シヴァ・リンガの原型と思われるミニチュアのテラコッタなどがあって、「インダスと南インドは、結構近いかもなぁ」と思ったこともありました。

それと、インダスの人々はミニチュア偏執狂的で、ビーズのような身に着けて移動できる小さなポータブルなもの(装身具など)がとっても好きなんですね。エジプトやメソポタミアはピラミッドに代表されるような王墓や神殿の巨大構造物が思い浮びますよね。でもインダスは全然違っていて、ノマディックにポータブルにミニチュア的で、巨大な固定物にはあんまり関心がなかったようです。

これって、可視的で経済的な物的合理性の追求とか、単調増大型の成長とか開発に懐疑的に歩んで来てしまった自分には、「君は、それでいいんだよ」と言ってくれているようで、ちょっと嬉しい感じです(笑)。

——実際の発掘調査にも参加されたんですよね。

お手伝いは専ら農耕関連でして、インドが初めての植物遺伝学や植物育種学の先生たちを先導する形で、南インドのニルギリ山塊、東ガーツ、デカン高原、そして西ガーツなどを踏査しました。驚いたことに、以前から自分が対象として来た研究調査地が、エンマー小麦など古代小麦の遺存的栽培の重要なスポットと重なっていたんです。今思えば、その幻の小麦から作られた古代の粗挽きの固い粥を、私は馬食していただけでした。知らないという事は、本当に恐ろしいことです(笑)。

——発掘のお手伝いをしていた村の人たちからも、学ばれたと。

発掘作業員としてお手伝いいただいた村の人々の生活・習俗にも心惹かれました。例えば、カルシウム分を多く含んだ白っぽい土を採って来て、それに水と牛糞を混ぜた一種の「石灰ミルク」を家の土間に定期的に塗布するんですが、それは女性たちの専管になっていました。重要なのは、その床面コーティングはインダス期から連綿と女性たちによって受け継がれて来た伝承の可能性だということです。堆積土断面のどこに当時の床面ラインがあるのか? について、研究者側が村の女性たちから多くを教わりました。そこにあるのは生気のない歴史ではなく、今も脈々と流れる生活との連続性でした。

実は発掘のかたわら、そうした女性たちの識字率の調査もしました。6%弱でした。彼女たちの人懐っこい笑顔や伝統知などその人間性や潜在能力を知れば、6%という数字が如何に虚しいモノかが解ります。しかし現実問題として、彼女たちはその識字率ために、発展するインド経済の市場拡大から排除されています。

インダス文明プロパーの研究者ではない私の領分として、彼女たちの社会参加を構想するとすれば、その社会的包摂の課題は、彼女たちの潜在能力(例えば、インダス文明からの連続性)を活かすようなプログラムを如何に社会開発論的にブリコラージュして行くかという、こちら側の能力の問題なのでした。