ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第四十九回となる今回のインタビューでは、関西学院大学大学院で社会学を専攻し、システムの設計(アーキテクチャ)とそこから零れ落ちる身体的抵抗の関係を鋭く考察する、XXさんにお話を伺います。

強張る身体と文化の「お約束」

——その葛藤を経て、現在XXさんが取り組まれている「身体と抵抗」の理論について詳しく伺いたいと思います。3つのステップで分析されているそうですね。

はい。まず第1のステップが「正しさによって強張る身体」です。これは、国家や都市、あるいはエリートの論理によって、地方の人々やマイノリティの身体が「棄民」として扱われ、硬直していく状態を指します。私が住んでいた北九州や熊本といった地方の歴史——炭鉱や水俣病といった重いテーマも含め、人々がいかにして「語られない存在」として切り捨てられてきたか。その抑圧された身体性が、現代の九州における独特の「さす九」言説や、偏見への傷つきにどう繋がっているのかを分析しています。

——「正しさ」という名の下に、無視されてきた身体があるということですね。

そして第2のステップが、その強張りに対する究極の反応としての「自傷による繋ぎ止め」です。自由を奪われ、社会的に死んでいるような状態で、なお自らの意志で動かせるのは、自らの身体だけです。リストカット、オーバードーズ、あるいはサウナブームや、科学的根拠を超えたイベルメクチンへの心酔。これらを単なる「逸脱」や「異常」と切り捨てるのは容易ですが、私にはそれが、追い詰められた人間が自分の生を実感するための、最後の、そして悲痛な「身体的抵抗」に見えるのです。

——社会の枠組みから外れた場所で、自らを傷つけることでしか「自分」を証明できない。

そして第3のステップが、その絶望を超えていくための「オルタナティブ」です。ここで私が注目しているのが、時代劇やヒップホップといった文化です。

——一見するとバラバラな要素に見えますが、中山さんの中ではどう繋がっているのでしょうか。

一言で言えば、『お約束の形式』が持つ圧倒的なアクセシビリティ(親しみやすさ)と、そこから生まれる共通言語の力です。

例えば、時代劇の世界。あれは基本的に一話完結で、毎回決まった展開、決まった『お約束』のセリフが繰り返されますよね。水戸黄門の印籠のような様式美があるからこそ、老若男女、誰がいつどこから見ても、即座に状況を理解して物語に参加できる。この高度なアクセシビリティこそが重要なんです。

石牟礼道子さんが、水俣病の凄惨な闘争への参加をあえて『助太刀いたす』という時代劇的な言葉で表現したのも、まさにそこを突いています。近代的な法律用語や小難しい正義論では届かない層にまで、その『お約束のフレーズ』は一瞬で浸透し、人々の記憶に深く刻まれる共通言語になる。こうした非近代的な様式美が、時に冷徹なシステムを突き破る、社会的なスローガンとしての爆発力を持つのです。

——それは、ヒップホップの精神とも重なりますか。

本質は全く同じです。ヒップホップにおけるサンプリングも、単なる音の再利用ではありません。そこにはヒップホップ文化の中で『お約束』となっている定番のサンプルや、誰もが知るメロディーが存在します。

見ず知らずの人間が集まるサイファー(円陣でのラップ)の場でも、その共通の『お約束』をサンプリングして提示することで、瞬時にその場の全員と繋がることができる。既存のレコードというシステムを分解し、誰もがアクセス可能な共通言語を探り当て、それを自分たちの文脈で再解釈していく。そこで放たれる鋭い一言(パンチライン)が、仲間の枠を超えて響き渡るとき、それは単なる歌詞ではなく、不自由な現実を生き抜くための社会的な『スローガン』へと姿を変えるんです。

誰にでも開かれた『お約束』の形式を借りて、自分たちの言葉を世界に叩きつける。この『正しくない』けれど、誰にでも伝わる流儀こそが、私たちが世界をハックするための最大の武器になると信じています。