ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第三十四回となる今回のインタビューでは、フランス文学におけるクロソウスキー研究と情報学におけるソーシャルメディア分析という、文理を越境したユニークな視座で「知の変身」を体現する、須田永遠さんにお話を伺います。
情報学への越境と「変身」する研究者
——博士論文を書き上げるまでに8年かかったそうですが、その間に大きな転機があったのですね。
そうなんです。 博士課程の途中で3年ほど、NII(国立情報学研究所)で研究員として働いていまして。 その間は論文の執筆が止まっていました。
——それが、ソーシャルメディア研究へのきっかけに。
はい。人文学を専門としていてデジタル技術を習得する人って、だいたいみんな偶然なんです。 私もそうで、先にNIIのプロジェクトに参加していた友人に誘われたのがきっかけでした。
——全く違う分野に飛び込むことに、抵抗はありませんでしたか?
うーん…自分でもまだよく分からないのですが、根底にあるのは「知らなかったものを見たい」という好奇心だと思います。
——クロソウスキーの「分からなさ」に惹かれたことと通じますね。
そうかもしれません。 それと、文学研究もそうなんですが、ちょっと「悪趣味」なところがあると思っていて。
——悪趣味、ですか。
異分野である情報学に、文学研究者という異質な人間が一人入っていく。 情報学から見ても私は異質だし、文学の側から見ても、急に情報学をやり始めた私は異質です。 そういう、本来ならいないはずの人間がそこにいることで、何が見えるのか。
「文理融合」という合法的な名のもとに、人の分野を覗き見できる。 そういうことに魅力的に感じたのかなと思います。
——とはいえ、技術的なキャッチアップは大変だったのでは。
猛勉強しました。 ただ、それは勉強が好きだったからではなく、ある種の「思い込み」の力ですね。
——思い込み、ですか。
文学研究者って、フィクションを扱うからか、思い込む力が強い人が多いんじゃないかと思います。かくいう自分も、「自分は情報学の研究者なのだ」と思い込んで勉強してましたね。——思い込みの力って、すごいんですね。
あくまで思い込みなので、実際にできるかどうかは別です。 でも、「俺はできるはずだ」と強く思い込んで、自然言語処理の読書会を自分で主宰したりして、必死で勉強しました。
もちろん、長年その分野で訓練(ディシプリン)を積んできた人たちと、同じようにはできるわけがないので、自分の文学のバックグラウンドを生かしつつ協働する、という形に落ち着いています。 でも当時は、本気で「情報学の人間なのだ」と思い込んでいましたね。
——既存の人文学をデジタル技術で進化させるデジタル・ヒューマニティーズ(DH)という分野がありますが、須田さんがやられているのは、それとは少し違うのですね。
ええ。DHは、あくまで歴史学なら歴史学、文学なら文学という、人文学の価値観がベースにあります。
私がやろうとしていたのは、むしろ逆です。 私たちが文学で培ってきた「読み」の技術を、情報学の価値観に基づいて、ソーシャルメディア研究といった分野を「より良くするため」に持ち込む、というアプローチでした。
——ご自身のアイデンティティを、情報学の側に移すような形ですね。迷いはなかったんでしょうか。
迷いよりも、情報学のコミュニティが持っている価値観や世界観が、すごく面白いと思ったんです。
——というと?
例えば、情報学には「たくさんのデータから、ざっくり見る」というアプローチがあります。
人文学、特に私のやっていた作家研究は、一人の人間の内面にある無意識やバイアスに、テクストを突き詰めて読むことで迫ろうとします。でも、人の無意識にアプローチする方法は、もう一つあると教えてもらったんです。 それは、「大量の人を集めてきて、その傾向を見る」という方法です。
例えば、階段って、 よく見ると、一部だけすり減っていることがありますよね。
——ありますね。
あれは、大量の人がそこを通った蓄積があるから、「人って、このように歩きがちなんだ」という、個人の意識には上らない傾向(無意識)が分かるわけです。
ソーシャルメディア研究も同じで、大量のデータを集めてざっくり見ることで、個々人では見えない、あるいは表面には現れない無意識のパターンが見えてくる。
僕はそれまで、文学の「具体的な一人の人物(作家)にじっくり向き合う」という、一つの方法しか知らなかったので、この「もう一つのアプローチ」が非常に面白く、目新しく見えたんです。
——お話を伺っていると、須田さんは一貫して「知らないものの見方を知ること」そのものに、強い関心をお持ちのように感じます。
そうかもしれないですね。ただ、もう少し補足すると、その関心にはいくつかのレベルがあると思っていて。
一つは、何か一つの分野や能力を「突き詰める」こと。 もう一つは、私でいうと情報学のように、自分の知見を「拡張する」こと。
でも、私が惹かれているのは、そのどちらでもなく、三つ目の「変身する」ということかもしれない、と最近感じています。
——変身、ですか。
自分の中身をガラッと変えて、違うものになる、ということです。
さっきの「情報学の研究者になる」という思い込みもそうですが、蓄積するとか拡張するとか、そんな高尚なものではなくて。
——違う何者かになれるかもしれない、という可能性ですかね。
ええ。うまく言えませんが、そういう願望が、多分、文学というフィクションを扱う人間には、人よりも少し強くあるんじゃないか。 そんな気がするんです。

