ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第九回は教育哲学研究のNさんです。

研究の進め方

Q2. 人はどのように成長するのか、過去がそこにどう影響してくるのか、ということでしたが、そこに至るまでどうやって問いを組み立てていったのでしょうか。

卒論はまじめな科学史研究に取り組んでいて、オーギュスト・コントという科学史家の研究を行っていました。元々はベルクソンはそんなに興味がなかったのですが、修士に上がって人生の悩みに突き当たってから、ベルクソンがすごく刺さるようになりました。

▲刺さったという、ベルクソンに関する書籍一覧

刺さったというのは、どんなところが?

修士論文にも引用したんですが、個人的に特に刺さったベルクソンの言葉を引用します。

「希望というものをこれほどまで強い快楽にするのは、我々が自由にできる未来が、いずれも同じ程度に好ましく、同じ程度に可能な多くの形式をまとって、同時に我々に対して現れるからである。その未来のうちでどれ程望ましいものが実現されるにしても、我々は他の未来を犠牲にしなければならず、我々は多くを失うことになるだろう。無限の可能性に満ちた未来の観念は、したがって未来それ自体よりも豊穣なのであって、だからこそ人は所有よりも希望に、現実よりも夢に魅力を感じるのだ[1]該当部についてはNさんによる訳」(合田正人・平井靖史訳『意識に直接与えられたものについての試論 ─時間と自由』)

これって過去の選択を後悔する人の気持を代弁しているんですよね。「あぁいうふうにしていたらどうなってたんだろう」というのが過去に執着する人に共通する気持ちだと思うんです。でも、ベルクソンはそれを幻想だと言い放つんです。人はその時、こうすることしか、ああすることしかできなかったのである、と。

だから、自分の過去の行為がどのような原因によって規定されていたのか、つまり「こうすることしかできなかった」んだと自分の過去を受け入れ、ある意味「許す」ことこそが大事だというわけです。過去の行為は変えられないけれど、その過去を支配していた原因を知ることができれば、それは何らかの仕方でアプローチすることができるし、時間はかかるかもしれないけれど、それをうまくコントロールすることができるかもしれない。過去を知ることが、本当の意味で未来に開かれた自由な行為につながるのだと、ベルクソンは教えてくれました。

この過去を背負ってどう未来に向き合えるのか、というところに惹かれて、ベルクソンを芯まで理解したいという欲望に取り憑かれて書いたのが僕の修士論文でした。

ベルクソンは『物質と記憶』という本も書いています。

それは記憶が物質化してしまう、つまり頑固な習慣になってしまうと同時に、それでも記憶というものは元は記憶であって、過去の記憶と物質化した現在の習慣の綱引きが一人の人間の歴史を作っているんだ、と言っているんです。エモくないですか?この『物質と記憶』というタイトルだけでも、僕はすごく救われて、それでベルクソンを研究したところがあります。

References

References
1 該当部についてはNさんによる訳