——すごく面白い小説になりそうです(笑)。実は私も、大学の授業の一環で、「関東大震災当日に書かれた日記を二、三本ピックアップして読み比べよう」というのをやったことがあります。寺田寅彦は東京都内をこんなふうに移動して誰かの家に行っている、永井荷風はこういうルートを通っている、ですとか。同じ日でも、違うルートを通って、違うところに着目して書くんだ、というのが面白かったのを思い出しました。
平安時代の日記でも、どの道を通って移動したかを、けっこう細かく書くんですよ。A地点からB地点まで行くのに、どこを通って、どこを右折して、と。
僕の今の職場が京都なので、京都にいるあいだは、まさにその世界を体験できるんです。平安貴族と同じ気分で京都の道を歩いて、貴族の日記の「ここの道を通って」というのを、頭の中で重ね合わせてみる。
——京都だとそれができるからいいんですよね。街区もかなり保存されていますしね。
実は今、鎌倉と京都の2拠点生活をしているんですが、鎌倉もそうですね。うちのそばにも「この道を頼朝が通ったな」っていう場所があったりする。
——そういえば、鎌倉と京都を新幹線で往復するご経験を日記と結びつけて論じたご講演が好評だったと伺いました。
あれはすごく反応が良かったので、本で書こうと思っているんですよ。昨日また戻ってきて、86回目ですね。着任してから1年半。毎回楽しいんです。
——どうしてそんなに楽しいんですか、86回も。
それはやっぱり、物事の意味を限定させないことですね。
たとえばご飯を食べるとき、「栄養を取るため」というところに特化すると、最高につまらない。でも、誰と食べる、何を食べる、どこで食べる、どうやって食べる、どの食器で食べる、どの時間に食べる、というように「食べること」にも様々な観点と意味がある。
——複合的な要因があるから、それを一つひとつ楽しむ。
新幹線も、ただの移動の時間だと思っている人はたぶん苦痛なんでしょうけど、楽しみ方はいくらでもあるんで、86回乗っていても楽しいんですね。
——その「86回」というリアルな数字を覚えていらっしゃるところが、もう、まさにそういうことですよね。
そう、全部、手帳に書いているんですよ(手帳を見せながら)。僕がもし死んで、この手帳だけが何百年後かに残ったら、「なんだ、この86っていう数は」となる。「この人、なんでこんなに回数にこだわってるんだろう」みたいな(笑)。ちょうど、僕が平安・鎌倉日記を研究しているのと一緒です。
——面白いですね、後世に研究対象になる自分(笑)。
僕がよく使う横須賀線なんかは、途中で新幹線と並走するんですよ。武蔵小杉の手前から西大井までの、わずかな間だけ。「新幹線が通らないかな」「今走っているのは、のぞみ何号なのか」って、気になって仕方がない。有楽町や銀座で新幹線が見えると、「あいつ、今日も走ってるな」「僕を乗せていないときも、あいつは走っているんだ」という感じで思いをはせてみたり(笑)。
——中丸先生の研究は、日記を読むだけでなく、ご自分の体験を通じて日記の書き手の気持ちを考えるということもセットになっている。身体性が伴っていらっしゃいますね。
そうですね。やっぱり習慣性が出てくるので、できれば同じ時間帯に乗った方が楽しいわけです。「前回はこうだった」と比較しながら体験できる。
僕が日記を読むときも、現在を生きるときも、わずかな違いを見つけているんです。たとえば僕はコーヒーが好きで、好きなコーヒー屋さんに行って飲んでいると、ときどき「あれ、ちょっと違うな」と思うときがある。その違いに気づいたとき、恐れずに「何か変えました?」と聞いてみると、意外と「産地を変えました」とか「挽き方を変えました」とか返ってくる。
——わずかな違いがわかると、ちょっと楽しくなりますよね。
みんな、毎日同じことを繰り返しているくせに、繰り返すこと自体はそんなに好きじゃないじゃないですか。でも人間、新しいことをやるのはやっぱり体力がいるので、ルーティンワークにする。その繰り返しの中で、私はわずかな違いを見つけることに楽しみを見出しています。
平安時代も同じです。年中行事にそって物事が進んでいって、1月から12月まで循環して、また1月に戻る、をずっと繰り返している。先例から外れちゃいけない、という意識が強いんです。明治時代に、暦を太陰暦から太陽暦に変えたような大きな変革は、よほどの理由——戦争に負けるとか、体制が転換するとか——がないと、たぶん多くの人が反対しますよね。
僕は意外と、日本が成長できないのは、そういう呪縛から離れられないからなんじゃないかな、と思っているんです。平安時代以来の先例主義が、影響しているんじゃないかと。
とはいえ、そんな中でも、平安・鎌倉の日記を読んでいると、人によって書きぶりもちがうし、同じことを繰り返していても前回とちょっと違う、ということはある。そこが面白いんですよね。
——先ほどの藤原実資にも、そんな一面があったんですかね。毎日日記をつけながら、小さな違いを見つけていくような。
いや、実資は、ちょっと狂ってますよね(笑)。実際に自分で日記を書いてみるとわかるんですけど、毎日書くって、実は難しい。実資は「自分が朝廷の秩序を守るんだ、そのためには書き残さなければならない」という気持ちがある。あそこまでいくと、もう執念ですよね。しかもあの日記は本当に難しいし、「狂ってる」と思ってます(笑)。
——実資はちょっと特殊でしたかね(笑)。「何が何でも記録を残して、自分の責任を果たすんだ」って、かなりワーカホリックな感じもします。よくある「雅な平安時代」のイメージが変わりますよね。
そうなんですよ。平安朝の文学を研究していますと言うと、「暇ですね」「優雅ですね」と、ちょっと馬鹿にしたように言われることがあります。「和歌とか詠んじゃったりして」とか。
でも、彼らは暇じゃないんですよ。なぜ我々には暇に見えるかというと、我々にとって価値を見出せないことをやっているからです。
次回は、満員電車や長い会議を平安貴族の視点で相対化する見方と、就職活動に早々と見切りをつけて「答えの出ない世界」の面白さに出会うまでを伺います。




