Q2-3. 資料収集についてはよく分かりました。つづいて、分析の方法について教えてください
資料の収集と分析とは行ったり来たりの繰り返しですが、まず、ミュシャという画家の生涯を見通す必要があります。様々な資料を探すうちに年表のようなものが出来上がります。
画家の生涯を調べていくと、○○アカデミーに所属していた、といった記録が出てきます。このアカデミーに同じ時期にどういった人物がいたのか、講師は誰だったのかなどを展開して調べます。
彼はドイツのミュンヘンや、晩年はチェコにも拠点を移しましたが、その時代のミュンヘンについてやチェコにいた当時のミュシャの記述についてなど確認します。
ーーミュシャの人物史を追いかけるわけですね。
はい、そのとおりです。
調べていくうちに、彼がジャン・ポワ・ローレンス[1]ジャン=ポール・ローレンス(Jean-Paul Laurens, … Continue readingという画家に師事していた、ということが分かりました。すると今度は、このローレンスという画家がどんな人物で、ミュシャにどういった影響を与えたのかを確認します。
さらに、ミュシャが彼の生きた時代にどういう評価を受けていたのか?という点も重要です。同時代の雑誌の中で、どのような言葉を使って評価されていたのか?を調べます。
すると「ジュール・シェレの再来だ!」「○○っていう画家に似ている」といった評価が見つかります。ジュール・シェレはフランスのポスターの大家ですが、このような評価を整理して、様々な画家について深掘りしていきます。
ーーミュシャに関連しそうな画家についても確認するのですね。ところで実際、ある画家に影響を受けたか、というのは確認できるものなんでしょうか?
難しい質問ですね。
たとえば自分の目で確認するなら、聖書のあるモチーフについて同じ構図で描いていたりといった点から影響を推測することができます。でもそれだけでは根拠としては弱いので、文字媒体で書かれた論拠が必要になるわけですね。
たとえばジャン・ポワ・ローレンスの画塾にミュシャが所属していたなら、ローレンスからミュシャへの影響があると考えることができます。画塾時代のミュシャの絵などがあれば、それを比較すれば簡単に分かることもあります。といっても、史料に拠るだけではやはり難しい場合もありますが…
ーーなるほど。美術史学であるからには、史料との突き合わせが必要なのですね。
史料という点ではほかにも、ミュシャの飛ばし記事などにも目を通しました。たとえば彼の評価の中で「彼の画風はオリエントだから…」といった言葉が出てきます。
じゃあ今度は「オリエント」ってどういう評価なのか?というところが気になります。そうして同時代の芸術観にも踏み込んでいくことになります。
掘り進めてみると、ポスターが当時は「芸術」には及ばない「装飾」として扱われていた、という背景が浮かび上がってきます。ところが一方、ジュール・シェレは芸術家にしか用いられない”Mastre”[2]“maître de l’affiche (ポスターの父)” ** Ernest Maindron, Les affiches illustrées (1886-1895), Paris, G. Boudet, 1896, pp. … Continue readingという言葉で称賛されていたりもします。
このような芸術と装飾の対立についてはすでに研究されている文献[3] … Continue readingがあったので、それにも目を通しました。
次回に続きます。
References
↑1 | ジャン=ポール・ローレンス(Jean-Paul Laurens, 1838-1921)。姓はローレンス。
参考URL①:https://fr.wikipedia.org/wiki/Jean-Paul_Laurens |
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↑2 |
“maître de l’affiche (ポスターの父)” * Les Maîtres de l’Affiche (1895-1900)という雑誌で取り上げられた作品数も最多。※雑誌創設者の1人がシェレであることは念頭に置くこと… シェレに関しては吉田紀子氏が詳しいです。 |
↑3 | https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784434013805 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784434253454 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784791757664 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784753410286 |