ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第五十一回となる今回のインタビューでは、東アジアの暦制度と権力の関係を軸に、江戸時代の暦の取り締まりや陰陽師の史料研究に取り組む博士課程研究者であり、広告営業の社会人経験を持つ異色の経歴の持ち主、小田島梨乃さんにお話を伺います。
哲学コンテストと流星群——「暦」への道を開いた二つの原体験
——小田島さんの研究テーマは、学部生の頃から一貫して「暦」ですよね。そもそも中高生の頃は、どのようなことに興味を持つ子供だったのでしょうか。
思い返せば軸は、二つあったと思っています。一つは、哲学や倫理学への関心です。高校の頃、授業で「倫理」に触れたとき、人間の営みについて言語化しようとする学問のあり方に、すごく楽しいなと興味を持ったんです。「国際哲学オリンピック」という大会はご存じでしょうか? 当時は「全国高校哲学エッセイコンクール」と呼ばれていて、教室の壁に「哲学のエッセイコンテストをやります。論文を書いて提出すること」という、シンプルなお知らせの紙一枚が貼ってあったんですよ。
——その貼り紙を見て、応募しようと?
はい。エッセイのテーマがいくつか書いてあって、その中の「科学は哲学を必要とするか。」という命題にすごく興味がそそられました。本来は学校の先生経由で応募するものだったようなのですが、考えたい、書きたい気持ちが先行して一人で勝手に投稿しました。結局、国内予選の決勝まで残ったのですが、優勝者が行く国際哲学オリンピックが学校の運動会と重なっちゃったんです。最後だし、運動会の方が楽しいかなと思って、そっちに行っちゃったんですけどね(笑)。
——運動会を選んだのが、高校生らしくていいですね(笑)。もう一つの軸というのは何だったのでしょう。
「星を見ること」です。これがいわゆる”理系”的な学問への関心の原点でした。小学生の時に見た流星群がとても印象的で、夏休みの自由研究で「天球儀(てんきゅうぎ)」を作って提出するくらい、星を見るのが大好きになりました。今でも星空観察は好きで、仕事帰りに「あれ、子供の頃に見た時よりも、今のベテルギウスは少し暗いな」と思ったりしています。
——「星が好き」という関心は、今の「暦」の研究にどう繋がっているのですか。
星空観察への関心が、徐々に星を観察してきた人類の物語への関心に広がっていたんだと思います。今私たちの見ている星の光って、何百年何千年も前にその星から発せられて、何光年分の遮蔽物を乗り越えて私たちの目に届いている奇跡なんですよ。星を見ることで古代に発せられた光を見ることができるし、メソポタミアの人々も私たちと同じように星を見ていたと、思いを馳せることもできる。ギリシャの人たちはどんな想いで星座を名付けていたんだろう、天動説に疑問を抱いた人は星空を見てどんな衝撃があったんだろう、と想像するようになりました。昔々から、暦を作るには天文観測が欠かせないので、平安時代の陰陽師も、江戸時代に暦を作った人たちも、私みたいな気持ちで星を見ていた、かもしれません。
地学は好きでしたし、どちらかというと数学や生物などの理系科目が得意だったのですが、天文に関わる人の営みへの興味が勝って、結局東大の文化三類に入学しました。
——進学選択では、本郷(東大文学部)ではなく、駒場の「学際日本文化論コース」を選ばれました。一期生としての決断でしたよね。
本郷の文学部は、ディシプリン(学問的規律)が非常に強固なイメージがありました。「日本文学をやるなら源氏物語」「中国思想ならまず古典を」という、伝統的な「お作法」が確立されているという印象が強くて。でも、私はもっと自由に、例えば「権力を正当化するための思想とはどんなものだったか?」という自分なりの切り口で歴史を横断したかった。既存の枠組みに囚われずに自分のテーマを追いかけられる場所を選んだのは、直感的なものでした。
――「権力と思想」というのは、ご自身の中では早くから決まっていたテーマだったのですか。それこそ「暦」よりも早くから。
そうですね、高校のころからなんとなく関心がありました。
次回は権力と暦の結びつきについて伺います。

