ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第四十五回となる今回のインタビューでは、東アジア海域における捕虜や移動する人々の実像を多言語史料から解き明かす新進気鋭の歴史学者、日本文化の研究を支える国際拠点である国際日本文化研究センターの特任助教の劉洋さんにお話を伺います。

越境の原点 ― 中国から土佐、そして東大への独学の道

——本日はお時間をいただきありがとうございます。今回は、歴史学の最前線で活躍されている劉さんに、ご自身のライフヒストリーと、研究テーマである「移動する人々」の物語がどのように重なり合っているのか、じっくりお話をうかがいたいと思います。

よろしくお願いします。

——劉さんのこれまでの歩みを振り返ると、ご自身もまた激しい移動を繰り返してこられました。その原点は、中国での高校時代にまで遡るのでしょうか。

そうですね。私は1990年代に中国の浙江省で生まれ育ちました。私の出身である中国南部の沿岸地域は昔から対外貿易が盛んだったこともあり、海外へ出て学ぶことへのハードルも比較的低かったように思います。

そんな中、高校一年生の時に転機がありました。東京大学や早稲田大学を訪問するサマースクールに参加したんです。そこで日本の大学制度に触れ、直感的に「自分にはこちらの方が合っている」と感じました。

——中国の教育システムに、何か違和感があったのですか。

中国の大学入試制度である高考(ガオカオ)は、あまりに過酷です。文系を選択したのですが、ひたすら暗記を求められ、色々な方向性で答えられそうな記述問題でも正解の幅が狭く感じられました。そうした画一的な評価軸の中で戦い続けることに、強い抵抗感がありました。

ちょうど2010年頃、日本政府が留学生30万計画を打ち出した時期で、高校からの留学枠が広がっていたのも幸運でした。両親は日本に特段のゆかりがあったわけではありませんが、私の決意を尊重してくれました。

——それで、いきなり日本の高校へ。

はい。2011年の4月に、高知県にある明徳義塾高校に入学しました。大河ドラマの『龍馬伝』が中国でも流行っていて、福山雅治さん演じる坂本龍馬の影響で「土佐弁って面白そうだな」なんて軽い気持ちもありました。

ただ、明徳義塾は野球などのスポーツ強豪校として知られる全寮制の学校です。入ってみて驚いたのは、そこには日本の「昭和」的な精神論や、強固な上下関係が色濃く残っていたこと。憧れていた日本とは少し違う空間でもありました。今振り返れば、そこでの経験も一種のカルチャーショックだったと言えます。

——スポーツ中心の環境で、東京大学を目指すのは並大抵のことではなかったはずです。

学年150人のうち、センター試験を受けるのは私を含めて10人未満という環境でした。そもそも世界史Bの授業すら開講されていませんでした。だから、すべて独学です。大手予備校も身近にはありませんでしたので、Z会の通信教育を活用し、夏休みに一週間だけ大阪の代ゼミの講習に行くといった生活でした。

でも、私は根がポジティブなんです。「自分で選んだ道だから、やるしかない」と。日本の国立大学の入試、特に東大の二次試験は論述中心ですよね。教科書の外側の知識まで問われる私立大学の暗記重視の試験には苦労しましたが、論理的な思考を問う東大のスタイルは自分に向いていると確信していました。結果として、明徳義塾から初めての東大合格者となることができたのです。

次回は研究対象のシフトについて伺います。