ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第四十四回となる今回のインタビューでは、人類学の視点から知と生活の境界を問い直し、実践的なフィールドワークを展開する研究者、池原優斗さんにお話を伺います。

異世界への越境と「エンジニア」という迂回

——大学は青山学院大学の総合文化政策学部に進まれました。ここを選んだ理由は?

思想やアート、そしてエンターテインメントが交差する場所として、一番自分に合っていると思ったからです。受験戦略的にも、得意な政治経済で受けられるという合理性もありました。

——実際に入学してみて、イメージ通りでしたか。

概ねイメージ通りでしたが、少し物足りなさも感じました。学部柄、エンタメの実務家志向やアートマネジメントに関心がある学生が多く、私が求めていたような「アカデミックで骨太な議論」ができる環境とは少し違ったんです。

ただ、その中で面白い居場所を見つけました。「聖書研究会」です。

——キリスト教の研究会ですか。

はい。私はクリスチャンではないんですが、青学には宗教主任の先生がいて、昼休みに聖書を読む会を開いていたんです。そこに行くと、非常にアカデミックな会話ができるんですよ。

これは今振り返ると、とても人類学的な体験でした。「神がいる」という前提で世界を捉えている人たちのコミュニティに入り込み、彼らの「存在論(世界がどう在るか)」を聞き出す。クリスチャンではない自分が、その世界の論理に触れ、観察し、対話する。まさにフィールドワークです。

——なるほど。異なる「世界観」を持つ他者の中に入り込む経験だったと。

今の人類学では存在論的転回という議論があります。近代的な「自然は一つで、その解釈が多様にある(多文化主義)」という考え方ではなく、「そもそも生きている世界(自然)そのものが複数ある」という捉え方です。

青学の中では、クリスマス礼拝があったり、すべての行事がキリスト教の論理で動いている。一歩外に出れば全く違う論理で世界が動いている。その二つの世界を行き来する感覚は、今の研究姿勢の原点になっている気がします。

——大学卒業後は、すぐに大学院には進まず、一度ITエンジニアになられていますね。

はい。実は大学時代、映像制作のサークルにいたんですが、普通に撮影するのではなく、プログラムを書いて映像を作るジェネラティブ・アート(Generative Art)にハマっていました。そこからプログラミングを覚え、学生時代からスタートアップで働いたりしていたんです。

先ほどの「リスクヘッジ」の話にも通じますが、まずはエンジニアとして手に職をつけてから、アカデミアに戻ろうと考えました。

——計画通りですね。

ところが、実際に1年ほど働いてみると、「働きながら研究する」ことの難しさを痛感しました。思った以上に時間が取れない。これなら、一度完全に大学院に戻って、研究にフルコミットする時間を確保したほうが、結果的にやりたいことができるのではないかと思い直したんです。

——そこで選んだのが、地元である北海道大学だったと。

東京での生活コストや、研究に集中できる環境を考えた時に、地元の札幌に戻るのは合理的でした。

あと、この時期にちょうどコロナ禍になり、社会全体が揺れ動いていましたよね。その中で「働くこと」の意味を問い直すコクヨのポッドキャスト『働くことの人類学』を聞いたり、Web3やアナキズム(無政府主義)といった分散型の自律的なシステムへの関心が高まっていました。

「国家がなくても成立するテクノロジーによるエコシステム(Web3)」を「政府によらず自律的に人々が作り上げる社会(アナキズム)」という観点から人類学的に研究したいと考え、北大の文学院の門を叩きました。

最後は今後の展望について伺います。