ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第十八回となる今回のインタビューでは、「復元模写」という実践的なアプローチで、文化財の新たな価値と可能性を切り拓く、画家の中神敬子さんにお話を伺います。
失われた色彩を現代に蘇らせる
——本日は、復元模写の第一線でご活躍されている中神敬子さんにお話をうかがいます。画業の道に進まれたきっかけから、文化財と向き合う仕事の奥深さまで、これまでの歩みを振り返っていただければと思います。
よろしくお願いいたします。ただ、私は美術系の人間でして、「人文」という言葉を聞いても、それが何を指すのかを改めて調べてしまうくらいなんです。専門分野もかなり限定的なので少し不安ですが、どうぞお手柔らかにお願いします。
——いえいえ、こちらこそよろしくお願いします。早速ですが、ご経歴のなかで「復元模写」というキーワードが目を引きます。これは、一般的な「模写」とは異なるものなのでしょうか。
はい。まず、古い絵画などをそのままの状態で写し取ることを「現状模写」と言います。長い歴史のなかで、優れた美術品はそうした「写す」行為によって後世に伝えられてきたものも多くあります。「現状模写」は古色や傷の付いた作品をそのまま描き写す模写です。一方で「復元模写」は、作品が描かれた当初の姿を考証し、色鮮やかな元の姿に再現することを目指す模写になります。
——なるほど、模写にも大きく二つの方向性があるのですね。古くなった状態を写すのが現状模写、描かれた当初の姿を再現するのが復元模写、と。
ええ。文化財に指定されているような作品は、劣化を防ぐために常設展示が難しいという側面があります。そこで、描かれた当初の鮮やかな姿を復元模写し、そちらを展示などで活用する動きが、ここ数十年で注目されるようになってきました。特に、研究の成果を反映させながら進める、という点が重要になります。
私が卒業した愛知県立芸術大学(愛知芸大)は、この復元模写の分野で長く実績を積んできました。その象徴的な事業が、名古屋城本丸御殿の障壁画復元です。
——名古屋城の障壁画、ですか。
はい。名古屋は第二次世界大戦の空襲で大きな被害を受けました。ご存知の通り、名古屋城も天守閣や御殿が焼失しています。当時、御殿の中には江戸時代初期の狩野派の絵師による豪華絢爛な障壁画が数多く残されていましたが、空襲で燃えてしまう危険性が高いと考えた人々が、戦火を免れるようにと、取り外し可能な襖などを疎開させ、障壁画だけでなく、御殿全体を写真や図面で克明に記録していたのです。結果、戦火で天守閣も御殿も焼失してしまいましたが、多くの襖絵などは焼失を免れました。
——燃え失せることを見越して、記録を残そうと尽力された方々がいたのですね。
そのおかげで、本丸御殿を再建する道が拓かれました。ただ、焼失を免れたオリジナルの襖は、400年の時を経て古色がついています。本丸御殿は2009年から復元工事が始まり2018年に完成し、現在では国内外から多くの方々が訪れる観光地となっていますが、白木で建て直された御殿に、古色が付いた障壁画をそのまま収めるのでは調和がとれません。そこで、建物が建てられた当初の姿に合わせ、障壁画も制作当時の色彩や線を復元模写で再現して納めることになり、1992年より復元模写事業が勧められてきました。この一大事業が、愛知芸大における復元模写研究の大きな軸となっています。
次回は絵に興味をもつようになったきっかけについて伺います。

