ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第四十二回となる今回のインタビューでは、法学部出身という異色の経歴を持ちながら、現代における個人化された「ハレ」の身体的実践を鋭い感性で分析する民俗学研究者、堀田奈穂さんにお話を伺います。
現代の「儀礼」とこれからの知性
——現在、博士後期課程ではどのようなテーマを研究されているのでしょうか。
修士の頃は沖縄の美容室について調べていたんですが、今は個人化したハレ・ケ・ケガレというものを考えています。具体的には、「よそおい(ファッションやメイクなど身体をよそおうさまざまなもの)」や、いわゆる「推し活」といった現代の個人の実践を事例に考えています。
——民俗学の「ハレ(非日常)」と「ケ(日常)」ですね。それを現代のさまざまな個人の実践に当てはめる、と。
はい。従来の民俗学では、「ハレ」というのは共同体を念頭に置いた概念でした。でも現代では、地域のお祭りが廃れたり、共同体の意識が希薄になったりしていますよね。もちろん、従来の共同体的なハレは存在し続けていると思います。ただそれと同時に、個人化していっているのではないか、もっと個人化された「ハレ」を日々生み出し実践しているんじゃないか、と思うんです。たとえば、誰に見せるわけでもなく、自宅の一角に「推し」のグッズを並べて私的な祭壇とでも呼べるものを作ること。あるいは、仕事のやる気を出すために、お気に入りのネイルをすること。これらは、他人から見れば非合理的かもしれませんが、その人にとっては自分の心を高揚させ、日常を維持するエネルギーであるケが枯渇してしまうことから身を守るための、切実な「儀礼」なんじゃないかと思うんです。
——なるほど。共同体の儀礼から、個人の儀礼へ。それが現代の「ハレ」の形だと。
そうです。そういえば、廣川さん(インタビュアー)も以前おっしゃっていましたよね、アイドルの「チェキ(インスタント写真)」を交換する友人のお話。
——あ、はい! 私の友人で、男性アイドルグループのファンがいるんですが、彼女たちがファン同士でチェキを交換する時の熱量がすごいんです。「誰のチェキを、誰のチェキと交換するか」というレートが緻密に計算されていて、まるでモースが分析した部族間の贈与交換みたいだなと(笑)。
それです! まさにそういう内容です。
外から見ればただの紙切れの交換に見えるかもしれないけれど、そのコミュニティの中では、チェキは貨幣以上の価値を持ち、交換すること自体が人間関係を構築する儀礼になっている。そこには外部の経済合理性とは異なる、独自の「論理」や「秩序」があるんです。
そういう、一見すると「なんでそんなことするの?」と思えるような行動の中にこそ、人間が生きるための知恵や、社会の隙間を埋める工夫が詰まっている。それを記述するのが、現代の民俗学の面白さだと思います。
——そうした視点は、現代社会の「生きづらさ」を解きほぐすヒントにもなりそうです。
そう思います。世の中はますます「効率」や「合理性」を求めていますよね。無駄なことはするな、コスパを上げろ、と。でも、人間ってそんなに合理的な生き物じゃないとも思うんです。
合理性や効率はもちろん大切ですが、それだけではこぼれ落ちてしまう感情や、「どうしてもこれをやらないと気が済まない」という非合理的なこだわりが、人にはある。民俗学は、そういう「正しくなさ」や「非合理性」も肯定してくれる学問だと思うんです。
——「正しさ」で断罪するのではなく、「そういうこともあるよね」と受け止める。
はい。来年度から、非常勤講師として大学生に教える機会があるんですが、シラバスをどうしようかずっと考えていて。
今はChatGPTのようなAIを使えば、体裁の整ったきれいなレポートなんてすぐ書けるじゃないですか。そんな時代に、学生に何を考え何を書いてもらうべきか。
私はもう極端な話、「論理的じゃなくてもいいから、あなたの『感想』を書いてほしい」って思ってます。もちろん、論理的に書いてくれるならそれに越したことはないんですが(笑)。でも、論理的に書くことに囚われすぎて、その人の考えを書けなくなってしまったらもったいないなと思って。最近は、「それっていわゆる感想ですよね」と退けられがちじゃないですか。
——たしかに、論理的であることや客観的であることが重視されがちです。筋が通っていなくてまとまっていない「感想」は否定されるというか。
ええ。でも、AIが書く「きれいな」文章よりも、その学生が生活の中で何を感じ、何に心を動かしたかという「実感」の方が、よっぽど価値がある情報の宝庫だと思うんです。
「なんとなく嫌だった」「すごかった」「やばかった」。そんな語彙力のない言葉の裏に、その時代特有の空気感や、個人の切実なリアリティが潜んでいる。それをすくい上げることこそが、これからの人間に残された領域なんじゃないかな、と。
学生さんたちには、そういうことを伝えていけたらいいなと思っています。民俗学を学んだことであなたのこれからの人生が少しでも豊かになればいいな、と。
——法学部で論理を叩き込まれた堀田さんが、巡り巡って「論理よりも感想を」と語る姿に、不思議な感慨を覚えます。
本当にそうですね(笑)。でも、外交史で学んだ論理的な視点と、民俗学で学んだ非合理的な視点。その両方を行き来できるのが、今の私の強みなのかもしれません。
これからも、世の中の「隙間」にある面白いこと、非合理的だけど愛おしいことを、自分なりのペースで拾い集めていきたいですね。
——本日は長時間にわたり、ありがとうございました。大阪へうかがった際は、ぜひその「引きこもり流」のフィールドワークの極意を教えてください。
こちらこそ、ありがとうございました。ぜひ遊びに来てください。方向音痴なので道案内はできませんが、全力で歓迎します(笑)。




