ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第三十五回となる今回のインタビューでは、日本語母語話者と非母語話者の接触場面における相互行為(アコモデーション)を専門とし、言語の構造だけでなく言葉の背後にある心理や態度の分析に注力する日本語教育研究者、張瀟尹(ちょう・しょういん)さんにお話を伺います。

転機となった「談話分析」と、歯科医院での原体験

——そこからどうやって立ち直り、現在の研究テーマにたどり着いたのでしょうか。

転機となったのは、指導教員の変更でした。当初は言語学寄りの先生の研究室を志望していたのですが、先生と話す中で「張さんの興味関心は、言葉の構造そのものよりも、人との関わりの中にある言葉に向いているね」と見抜かれて。それで紹介されたのが、後に恩師となる栁田直美先生でした。

栁田先生のゼミでは談話分析を専門にしていました。それまで私は、会話の研究といえば会話分析のことだと思っていたんです。

——会話分析と談話分析。言葉は似ていますが、アプローチが違うのですね。

はい、大きく異なります。あくまで私の理解ですが、会話分析は非常に厳格なディシプリン(規律)を持つ分野です。「挨拶には挨拶」「質問には答え」といった会話の構造(連鎖)そのものを、文脈や話者の心理を極力排除して客観的に分析します。法廷でのやり取りや医療現場の会話など、制度的な場面の分析には非常に強力ですが、厳密なルールに従う必要があります。

一方で、私が惹かれた談話分析は、もう少し広義で柔軟なアプローチをとります。発話の構造だけでなく、その背後にある文脈、話者同士の人間関係、そして「なぜその人がその言葉を選んだのか」という心理的な側面も含めて分析対象とします。

——なるほど。会話の「構造」だけでなく、そこにいる「人」や「心」を含めて見るのが談話分析なのですね。

そうです。私はもともと「人が好き」「お喋りが好き」で日本語を始めたので、無機質な構造分析よりも、人間臭いやり取りの中に潜むルールを見つけ出す談話分析のほうが、圧倒的にしっくりきたんです。「やっと自分のやりたい学問に出会えた!」と救われた気持ちでした。

ただ、そこからスムーズに研究が進んだわけではありません。修士課程を終えて一度帰国し、博士課程に戻ってきた後、私はまたしてもテーマ選びの迷宮に入り込んでしまいました。

——博士課程での「迷宮」とは、どのようなものだったのですか。

栁田先生は「研究テーマは絶対に自分で見つけなさい。自分が本当に心から興味を持てることじゃないと、研究は続かないから」という指導方針の方でした。先生がご自身の研究の一部を学生に割り振るようなことは一切しません。

私は毎週のように「こんなテーマはどうでしょう」とアイデアを持っていくのですが、先生には見透かされてしまうんです。「それは本当に張さんがやりたいことなの?」「具体的な場面はイメージできているの?」と問われると、答えに詰まってしまう。そんな「壁打ち」のような面談が半年以上続きました。

——半年間もテーマが決まらないというのは、精神的にも焦りそうですね。

焦りましたね。「常に日常生活を観察しなさい。自分が外国人として日本で生活する中で、心が動いた瞬間、困った瞬間、違和感を覚えた瞬間を逃さないで」と先生はずっとおっしゃっていました。

私はそれまで、日本語母語話者が学習者の日本語をどう「評価」するか、という視点にこだわっていました。「日本人のように話したい」というコンプレックスがあったからです。でも、学界の流れとしても、もはや「母語話者が評価者として上に立ち、学習者をジャッジする」という構図自体が古いのではないか、という議論が起きていました。日本語には多様なバリエーションがあっていいはずだ、と。

そんなモヤモヤを抱えていたある日、歯医者さんに行った時の出来事が、すべてを変えたんです。

——歯医者での出来事、ですか?

はい。日本で初めて虫歯治療をした時のことです。担当医が二人いました。一人は50代くらいのベテラン男性医師。彼は私が外国人だとわかると、専門用語を一切使わず、ものすごくゆっくりと、まるで幼児に話しかけるような話し方をしたんです。「ここはね、こうして、いたくないようにしますよー」みたいな感じで。

——なるほど、外国人なら初心者向けの、わかりやすい日本語がいいだろう、という配慮ですかね。

ええ、確かに「わかりやすい」んです。技術的には完璧なフォーリナートークでした。でも、私は正直カチンときてしまって(笑)。私は日本語上級者としての自負がありましたし、大人として扱われていないような、上から目線のニュアンスを感じ取ってしまったんです。

一方、もう一人の先生は若い新人の方でした。彼は私が外国人だとわかって、明らかに緊張していました。「この複雑な治療内容を、どう説明すれば伝わるだろう」と焦っているのが伝わってきました。模型を持ってきたり、専門用語を使いそうになって言い淀んだり、汗をかきながら必死に説明してくれました。

——対照的ですね。

そうなんです。説明の流暢さやわかりやすさで言えば、ベテラン医師の圧勝です。でも、私の心が動いたのは、たどたどしくても私を「対等な患者」として尊重し、必死に向き合ってくれた新人医師の方でした。

この時、気づいたんです。「配慮(アコモデーション)」の本質は、単に語彙を簡単にすることやゆっくり話すことといった「技術」だけではない。「相手とどう向き合うか」という「態度」や「心」の調整こそが重要なんだ、と。

——技術的な「わかりやすさ」と、心理的な「尊重」。そのギャップにご自身の実体験として触れたわけですね。

はい。このエピソードを興奮して栁田先生に話した時、先生も「それだ!」という顔をされました。「張さんが本当にやりたかったのは、そういう『心の動き』に焦点を当てた研究なんじゃない?」と。そこからはもう、迷いはありませんでした。

最後は対話調整の詳細について伺います。