ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第十六回となる今回のインタビューでは、「文学の読解技術」を情報学に応用するという独自のアプローチで、新たな研究領域を切り拓く、国立情報学研究所の武富有香さんにお話を伺います。
言葉にならない感覚と、学問との出会い
——武富さん、本日はよろしくお願いします。今回は、武富さんの研究「対象」と、それらを分析する「レンズ(切り口)」が、どのようにして形づくられてきたのか、ありのままの歩みをおうかがいしたいと思います。よろしくお願いします。早速ですが、「自分は何の研究者か」と聞かれたら、普段はなんと答えていますか?
早速難しい質問ですね。実は、答えづらくていつも悩んでいます。 もともと自己紹介というものが苦手ですが、いまは誰に向けて自己紹介をするかによって、言い方を変えています。例えば、情報学の研究者に対しては「哲学と文学をやってきて、今は情報学との融合研究をしています」と説明していますし、文学の研究者に対しては「いまは情報学の研究をしています」と言います。ただ「自分はいったい何をしている人間なんだろう」という問いにはずっと答えが出ないままです。
——どの分野の人に向けて語るかによって、ご自身の立ち位置の示し方も変わってくるわけですね。
そうです。思えば、毎年四月、大学の授業の初回で自己紹介をするのも本当に苦手でしたね。皆さん、ご自身の専門を滔々と語られるのですが、私はいつもうまくいきませんでした。文学を研究していた頃も、特定の作家に強い思い入れがあったわけではないので、他の院生が作家や思想家の名前を自分の専門に結びつけるのを聞きながら、いつも答えに詰まっていました。今も上司に「武富さんは何の人なの? どう紹介したらいいか分からない」と言われてしまう始末です。
——あえて言うなら、「何と何の交差点にいる」という表現がしっくりきますか?
大きなくくりでは「人文学と情報学の交差点」にいるのだと思います。ただ、人文学というとあまりに広すぎるので、自分が研究で使っている手法の源流である「文学」を名乗るようにしています。
——なるほど。では、その「文学」というレンズが、どのようにして見出され、変化してきたのか、ぜひうかがいたいです。子どもの頃に、学校の勉強の枠には収まらないけれど、なぜか気になってしまうことや、考えてしまうことはありましたか?
私は昔から、ずっとぼんやり考え事をしている子どもでした。
——どんなことをよく考えていたんでしょう。
子どもの頃から、「社会が自分にあまりフィットしていない」という感覚がありました。世の中のいろいろなことに違和感を感じては、「なんでだろう」「なんかおかしい」と思いながら生きてきたので、自然と物事を一歩引いた視点から見るのが当たり前だったんです。ただ、友達がいなかったわけでも、家にこもって本ばかり読んでいるタイプでもありませんでした。ごく普通に周りとコミュニケーションを取り、人間関係には恵まれながらも、頭の片方ではずっと「なぜだろう」と考え続けている。そんな子供でした。
——面白いですね。子どもの頃からマルチタスクで思考を。
頭の中で概念のようなものがたくさん浮かんでいて、それらを繋げたり、少し変形させたり、似ているものを探したり、といった「操作」をしていたような気がしますね。ただ、それらをうまく「言語化」する能力は、まだ持ち合わせていませんでした。自分の頭の中で起きていることを言葉にするのは、とても難しかったんです。そのもどかしさが、大学で哲学や文学といった、概念と言葉の結びつきを探究する学問への関心に繋がったのだと思います。
——そうでしたか。哲学や文学というジャンルに出会えたのは、幸運でしたね。
確かにそうですね。人間関係や社会の仕組みにも興味があったので、大学では社会学や心理学の授業も取ってみたのですが、どうもしっくりこなくて。文学部に入る前にははずっと楽器を弾いていましたね。
——音楽にも取り組んでいたんですね! ちなみに何の楽器ですか?
ピアノです。一時期まで音大を受験することを考えていました。師事していたピアノの先生が非常に知的な方で、一音を弾いた時に「本当にそれで合っている?」と、禅問答のようなやりとりを繰り返してくださったんですね。先生との対話を通じて、言語ではないけれど、何か「正しい感覚」としか言いようのないものをつかみ取る訓練をずっと続けていたような気がします。
——なんだかわかります。何か感覚をつかむとか、納得するときって、頭でわかるだけでなく、「これだ!」と腑に落ちる感覚がありますね。
ええ、そうですね。「これだ!」という時もあれば、「あ、全然違う」「ダメだ」という瞬間もある。私の第一言語は、おそらく音楽なんです。頭の中にある概念と音楽は、楽器が弾けたおかげで何となく繋がる部分があった。でも、それと言語との間には、とても大きな隔たりがありました。音楽の他に、一時期器械体操もやっていたのですが、その身体感覚とも近いものがあります。例えば、平均台の上でバク転をするとき、失敗する時には平均台を蹴った瞬間に「あ、落ちる」と分かるんですよ。
——武富さんの思考のプロセスは、どんなものですか?
私は、まず「腑に落ちる」という感覚が先にあり、そこから逆算して「どうすれば言葉で表現できるか」を考えていると思います。感覚に後から言葉を当てはめていくので、どこかでズレが生じてしまう。初めから論理的に言葉を組み合わせることができれば、文章は矛盾なく綺麗に仕上がるはずです。でも、私には綺麗すぎるパズルはよく分からない。「論理的に正しい」ことは理解できても、「本当にそうなのか?」と腑に落ちないと、途端に議論の尻尾がつかめなくなるようなことがよくあるんです。
——なるほど。文としては通っていても、「分かる」という感覚にはならない。
そうです。それが何なのか、何をしようとしていたのか、分からなくなってしまうんですね。
——それでも言語化しようと試みるのはなぜですか?
より多くの人に伝えるためかなと思います。それから、言語にするというプロセスを経ることで、また別の何か新しいものが現れてくるから、というのもありますね。自分が伝えたかったこととは少し違うものが、言語化によって生成される。でも、そのズレ自体がすごく面白い発見にもなるんです。
次回は彼女の転機について伺います。


