ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第三十四回となる今回のインタビューでは、フランス文学におけるクロソウスキー研究と情報学におけるソーシャルメディア分析という、文理を越境したユニークな視座で「知の変身」を体現する、須田永遠さんにお話を伺います。
クロソウスキー研究:「分からなさ」と「共犯」の論理
——早稲田で文学に触れ、その後、大学院で駒場の言語情報科学専攻を選ばれたということですね。
これも同じ先生からのアドバイスです。 私が入学する少し前の駒場は、表象文化論を中心に、とりわけプレゼンスの高かった時期ですね。
先生が「駒場はすごくいいところだ。先生たちが素晴らしい」と教えてくれて。 そこで私が研究したいと思ったのがピエール・クロソウスキーでした。
——とはいえ、当時勢いをみせていた表象文化論ではなく、言語情報科学を選ばれたのですよね。
はい。クロソウスキーを専門として研究しようと思った時、当時の言語情報科学は非常に魅力的な場所でした。クロソウスキーと非常に近しい思想家であるジョルジュ・バタイユや、同時代の文学・芸術運動であったシュルレアリスムを専門とされている先生方、文学の「語り」について研究されている先生もいらっしゃいました。また、私が駒場に入る年、日本で初めてクロソウスキーに関する博士論文を出された方も言語情報科学のご出身だったんです。
——そもそも、数あるフランスの作家や思想家の中で、なぜクロソウスキーだったのでしょうか。
これはもう、ほとんど偶然の出会いです。 サークルや授業の影響で、バタイユ周辺の作家には興味を持っていました。 ミシェル・レリスとか、アンドレ・ブルトンとか、いろいろな作家がいますが、私自身の性格もあって、「ちょっとよく分からないもの」をやりたいな、と。
——よく分からないもの、ですか。
その中でクロソウスキーを読んでみたら、まず、まったく分からない。 でも、小説が抜群に面白かったんです。
——「分からない」けれど「面白い」ですか。
はい。もう理屈ではなく、この小説をまず理解したい、という気持ちが研究の出発点でした。
——あえて言語化すると、クロソウスキーの小説の面白さとは、どういう点にあるのでしょう。
まず何より、文章が素晴らしい。 私たち文学をやっている人間は、やっぱり文章が好きなんです。
単調な文章というのは、読み進めると「この人は次にこう言いそうだ」というのが見えてきてしまう。 新しい情報を出すリズムが一定だったり、文のパターンが似ていたりすると、読めてしまうんですね。
——小説でも映画でも、展開が予測できてしまうとつまらないですもんね。
クロソウスキーは、それを絶妙にずらしてくる。 どこまで行っても分からない、というわけではなく、こちらの予測や想像力の枠を少しずつ裏切っておきながら、ハッとするような仕方で焦点を結ぶ、そんな文章なんです。 だから読んでいて飽きない。 まずはその、文章家としての一流のセンスに強く惹かれました。
——須田さんは、クロソウスキー研究のキーワードとして「共犯的な語り」というテーマを掲げられていますね。
ええ。それは後から出てきたキーワードです。 最初は、さっきお話ししたように「この小説のすごさは何だろう」という純粋な驚きから始まりました。 それを理解したくて、語りの構造を分析する、ということをやっていたんです。
並行して、クロソウスキー自身の思想的なテーマ、概念についても研究を進めていました。 彼は哲学者でもあり、小説家でもあるのですが、思想の面では「コミュニケーション」についてよく語る人なんです。
——コミュニケーション、ですか。
はい。ただそれは、主体性を持った個人同士が同意の上で意見を交換する、というような従来のコミュニケーションとは違います。 彼は、それとは異なった形での人と人との関係性があり得るし、そこに可能性を見ていた。
——なるほど。その思想と小説が、どう結びつくのでしょう。
彼の思想(概念)と、彼の小説(実践)を、一つのものとしてまとめるキーワードを探していた時に、「共犯」という言葉が見つかりました。 彼は、理論として「共犯的な人間関係」を語り、同時に、小説という実践によって読者との間に「共犯的な語り」を作り出そうとしていたのではないか。 そう考えたんです。
——なるほど、クロソウスキーの哲学的人間論を、彼の小説論として読み替えてみてはどうか、ということですか。
彼自身が明確に「小説論」として展開しているわけではありません。ですが、彼が理論的に見ていた人間関係を、書き手であるクロソウスキーと読み手である私たちの間にも適応できるのではないか、と考えました。 もちろん、両者が全く同じものか、という批判は当然ありますし、まだ粗削りな仮説ではありますが。
——その「思いつき」や「仮説」から出発して、手続きを踏んで論証していくのが、人文学の面白さでもありますよね。
おっしゃる通りです。 最初に「これはこういうものだろう」という、ほとんど直観と呼ぶべきものであったとしても、それを手続きに則って論証すれば、一つの「論」として流通させることができる。 それがこの分野の面白さだと思います。
最後は越境について伺います。


