——高校卒業後の進路についても、当初は教育や社会学を志していたわけではなかったそうですね。
全く考えていませんでした。そもそも、大学に行くという選択肢自体が、自分の意志というよりは家庭内の空気、いわゆる「大学に行くのが当たり前」という中産階級的な規範に従っただけの消極的なものでした。当時の学力で進学可能だった愛知工業大学に進みましたが、パソコンが嫌いではないという程度の消去法的な選択で、研究への情熱など微塵もありませんでした。
——大学生活の最初の数年間は、どのような心境で過ごされていたのですか。
一言で言えば、苦痛でした。自分が本当にやりたいことではない学問に、毎日時間を費やす。情報系の専門科目に勤しむクラスメートたちを横目に、自分だけが浮いているような感覚。そんな「しんどい3年間」を経て、就職を意識し始めた大学3年生の時、ふとしたきっかけで自分の原体験を問い直すことになったんです。「なぜ自分は、あんなに学校が嫌いだったのか」「なぜ、あの時の高校の教師たちは自分を排除したのか」。その正体を、今度は暴力ではなく言葉で、理論で解き明かしたい。その衝動に突き動かされるようにして、教職課程の門を叩きました。
——3年生からの進路変更は、周囲を驚かせたのではないですか。
ええ、単位数は膨大でしたし、結果的に留年して5年通うことになりました。しかし、この決断が私の人生を180度変えました。教育制度学の川口洋誉先生の不当な校則に関する授業で、「君たちは教育を受ける権利の主体なのだ」という言葉に出会った時の衝撃は、今でも忘れられません。
——「権利の主体」。その言葉は、尾河さんの過去をどう塗り替えたのでしょうか。
それまでの私は、学校で暴れていた自分を、単に「性格が悪い」「社会性がない」と自己否定することでしか処理できていませんでした。しかし、川口先生の教えは、私の行動が「不適切な教育環境に対する、一人の人間としての、権利の主体としての異議申し立て」だった可能性を示唆してくれた。富永京子先生の『みんなのわがまま入門』にも通じる視点ですが、個人の「わがまま」や「逸脱」の背後には、社会的な構造の問題が潜んでいる。この気づきを得た時、私は初めて自分の過去と和解できた気がしました。そこからはもう、水を得た魚のように教育学に没頭しました。
次回は教員としての現実について伺います。



