ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第四十七回となる今回のインタビューでは、高等専修学校での実践を経て、排除される若者の「生」を追う教育学者、尾河勇太さんにお話を伺います。

暴力から「言葉」への転換

——本日はお忙しい中、ありがとうございます。今回は、大阪大学大学院で研究を続けながら、かつて高等専修学校で教員として教壇に立たれていた尾河勇太さんにお話をうかがいます。研究者としての知性と、現場を歩き続けてきた泥臭いまでの実践力。その両輪がどのように形作られたのか、じっくりと紐解いていければと思います。

よろしくお願いします。私のこれまでの歩みは、ある意味では「学校」というシステムへの違和感と、そこからの脱走、そして再発見の歴史と言えるかもしれません。少し長くなるかもしれませんが、丁寧にお話しできればと思います。

——尾河さんは、少年時代からボクシングに没頭されていたとうかがいました。今の穏やかな語り口からは想像しにくいのですが、プロライセンスまで取得されたそうですね。

ええ、小学校の頃に空手を始めたのがきっかけで、高校からはボクシングに真剣に取り組んだ生活でした。当時は、強さこそが自分のアイデンティティを支える唯一の柱だったんです。

——そこまで「強さ」に固執されたのは、どのような背景があったのでしょうか。

幼い頃からよく「男は強くあるべきだ」という言葉を聞かされて育ちました。私は、一人の人間として育てられたというより、「尾河勇太という男」としての役割を完遂することを期待されていた気がします。振り返って見れば、そういう「男は強くあるべきだ」的な規範がまだ根強い時代だったと思います。その規範の中で、自分の価値を証明する最も分かりやすい手段が、ボクシングという格闘技だったんです。

——社会や家庭が求める「男らしさ」を、自らの身体を持って体現しようとされていたのですね。

そうです。当時は『ドラゴンボール』のような漫画やメディアの影響もあり、拳が強いこと、肉体的に勝ることが「正義」だと素朴に信じていました。しかし、その内面では、常に何かに追い立てられているような、あるいは何かに抑圧されているような、得体の知れない居心地の悪さを抱えていたのも事実です。

——その居心地の悪さは、学校という場所でも感じられていたのでしょうか。

学校は、私にとって最も「馴染めない場所」でした。友人関係はとってもよかったのですが、大人である教師という存在とは、特に高校では常に激しく衝突していました。当時は、教師に対して暴力を振るってしまうこともあり、学校側からは「問題児」として扱われていたように思います。しかし私自身は、心のどこかで「自分は本当はいい奴なはずなのに、なぜここではこんな『怪物』にならざるを得ないのか」という強い矛盾を感じていたんです。今思えば、あれは学校というシステムが強いる「正しさ」に対する、幼いなりの必死の抵抗だったのかもしれません。