Q3-1. 研究をしていてどんなところが面白かったですか?

モンゴル帝国史が、外国史でありながら、日本史の一部でもあるところです。日本とモンゴルの歴史が交わるポイントとしては、元寇(文永の役・弘安の役)が連想されると思いますが、じつは日本はモンゴルから文化的な影響もたくさん受けています。世界史的な視野で日本の歴史をとらえることができる時代のひとつが、モンゴル時代と言えると思います。史料を見ていても、急に視野が開ける感じがしますね。

モンゴル帝国史にはいろいろな国の人が取り組んでいますが、それらが少しずつ違ったり、ときに共通する部分があるのは面白いです。中国の史料に書いてあることがペルシア語やアラビア語でも書かれていますし、カルピニ[1]プラノ=カルピニ ローマ教皇インノケンティウス4世によってモンゴル帝国に派遣された修道士。1246年、グユク=ハンに面会した。、ルブルク[2]ギヨーム=ド=ルブルク。モンゴルに旅行したフランスの修道士。1254年、モンケ=ハンに面会した。、マルコポーロといったヨーロッパの書き手たちの文献にも出てきたりします。

日本・中国・韓国など東アジア、東南アジア、ヨーロッパ、中東など、それぞれの地域の歴史にモンゴル帝国が大きな足跡を残していることがわかります。それぞれの地域の言語で研究して作り上げたモンゴル帝国像が、互いに微妙にずれていたり、あるいはつながっていたり。もちろん、古い時代の歴史なので、完璧に分かることが多いわけではありません。かえって謎が深まることもたくさんあります。

そうしたことを、分野横断的に議論するのはとても面白いです。日本では杉山正明が先駆けでしたが、近年ではモンゴルのマイナスイメージを覆すような視点の研究者が世界中で増えてきていて、そうした研究者同士で世界的につながれるというのも魅力ですね。

次回に続きます。

References

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1 プラノ=カルピニ ローマ教皇インノケンティウス4世によってモンゴル帝国に派遣された修道士。1246年、グユク=ハンに面会した。
2 ギヨーム=ド=ルブルク。モンゴルに旅行したフランスの修道士。1254年、モンケ=ハンに面会した。