ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第四回はモンゴル帝国史研究の向正樹准教授です。向先生は同志社大学にて、グローバルな視点のアジア史や中国語を教えています。

興味を持ったきっかけ

Q2-2. 研究を進めるうえで、難しかったことはありますか?

まずは言語の壁です。

東洋史では、モンゴル史をやるならモンゴル語ができればいい、中国史をやるなら中国語ができればいい、というわけにはいかなくて。ヨーロッパで培われた東洋学[1]18・19世紀に欧米で発達した、ヨーロッパから見て東方(オリエント)の諸地域の歴史・言語・文化・思想などを対象とする学問。の蓄積を避けては通れないんです。そのため、フランス語・ドイツ語・ロシア語といった言語も習得できている必要があるといわれています。

私は中国語専攻だったのですが、海の歴史をやろうということになって、アラビア語とフランス語の習得にかなり時間を割くことになりました。とくに、中国沿海部には古いムスリム[2]イスラーム教徒。聖典『クルアーン(コーラン)』が書かれたアラビア語を共通の言語とする。のコミュニティが存在していて、それがちょうどモンゴル時代にできたものなんです。そのため、アラビア語で書かれたムスリムの墓碑が、自分にとって重要な資料となりました。

▲中国の福建のアラビア語碑文

碑文に関しては、翻訳が出版されていましたが、写真があまり鮮明ではなかったのと、現物は中国にあるということで、中国に留学して、中国での調査ができるようにしたいと考えました。その結果、中国東南沿海部のほか、中国の古いモスクがある西安・楊州・杭州など、いろいろな地域に足を運んで調査しました。

ーー実地調査が多かったのですね。他の研究者や専門家にも、実際に会う機会があったと思います。

当時、イスラーム墓碑の翻訳をしていた中国の研究者を訪問しようとしたことがあります。その研究者は研究をやめていたことがわかり、結局会うことはできませんでした。が、その中国の研究者とコラボしていたフランスの研究者には、のちに訪問していろいろと教わることができました。

実は、最近になって、あるシンポジウムでイスラエルの方とつてができ、イスラエルの学界が中世アラビア語の研究に関してかなり高い水準であることを知りました。そちらにもっと早く学びに行っていたほうがよかったかもしれないと思うこともあります。いまも道半ばですね。

ーー今でこそオンラインで研究者のプロフィールや業績にアクセスできますが、当時はどのような調べ方やツールを使っていましたか?

モンゴル帝国史の史料は漢文だから中国にある、もしくはペルシア語史料ならフランスにある、というふうに、地域と言語の関係性である程度あたりをつけて、現地の大学や研究機関を訪問します。例えばフランスならフランス国立図書館[3]Bibliothèque nationale de France 略称はBnF。が代表的ですが、今では同図書館の電子図書館サービス「Gallica」があるので、オンラインでペルシア語写本を閲覧できますね。中国の文献も、夏休みに現地で資料を検索してはコピーして……ということをしていましたが、こちらも今はCNKIのようなオンライン文献サービスがあるので、時代が変われば調べ方も大きく変わるんだなと思います。

References

References
1 18・19世紀に欧米で発達した、ヨーロッパから見て東方(オリエント)の諸地域の歴史・言語・文化・思想などを対象とする学問。
2 イスラーム教徒。聖典『クルアーン(コーラン)』が書かれたアラビア語を共通の言語とする。
3 Bibliothèque nationale de France 略称はBnF。