ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第二十七回となる今回のインタビューでは、国家による「線引き」が現代ほど明確でなかった時代の新疆・中央アジアを舞台に、国境を越えて移動する人々と国家の関係性を多言語の史料から読み解く、研究者の松尾健司さんにお話を伺います。

研究者への道

——ご自身の足で移動する主体であった松尾さんが、今度は境界地域を研究対象とされたのは、やはりそうした原体験が影響しているのでしょうか。

そうですね。旅行で得られる知見には、やはり限界があると感じていました。現地の人と話すことで多くを学べますが、それはあくまで自身が動く軌跡という「線」の上の体験であり、出会える人も限られます。特に、短期間の滞在では、時間軸、つまり歴史的な深さを知ることはできません。その土地や人びとを深く理解するためには、歴史を学ぶ必要がある。そう考えるようになったのが大きいですね。

——そして、大学院に進まれるわけですが、その前に一度、社会人経験をされていますね。

はい。大学卒業後、数年間ほど法律を扱う仕事をしていました。

——そこから再び学問の道へ、しかも研究者になるとは思っていなかったという道へ進まれた。その決断の裏には何があったのでしょうか。

当時の国際情勢が大きく影響しています。私が社会人になった2010年代の終わりは、新疆ウイグル自治区[1] … Continue readingや香港に関する報道が実感として急激に増えた時期でした。中国語が読めたこともあり、こうした動きに自然と関心を寄せるようになりました。香港のデモをきっかけに、香港の歴史を勉強して、国家のあり方や、人が国家に所属するとはどういうことなのかを強く考えさせられました。植民地とは何か、領土の法的な地位はどうなっているのか、と。

そこから関心が広がって、例えば第一次世界大戦後に日本の委任統治領[2] … Continue readingとなった南洋群島の人々の国籍はどうなっていたのか、あるいは日本の租借地[3] … Continue readingだった旅順や大連の住民の扱いはどうだったのか、といった疑問が次々と浮かんできました。こうした、一筋縄ではいかない国家と個人の関係への探求心が、大学院進学の直接的な動機になりました。

——大学院は、迷わず現在の専攻を選ばれたのですか?

はい。中国の近現代、特に外交史がご専門で、現在も指導教員である川島真先生[4] … Continue readingのもとで学びたいと思い、東京大学の大学院を受験しました。

——社会人経験を経ての受験は、ご苦労も多かったのではないでしょうか。

一番大変だったのは、修士課程出願時に論文の提出が求められたことです。私の出身である法学部には卒業論文がなかったので、働きながらゼロから書き上げなければなりませんでした。

——それは大変ですね。

恥ずかしながら、論文らしい論文をきちんと読み始めたのは、大学院に入ってからです。ですから、当時は何が「論文」なのかもよく分かっていませんでした。先行研究をどれだけ網羅できているのか、その影響力はどれほどのものなのかも判断できないまま、必死で書き上げました。当時すでに大学院生だった知人たちに助言をもらい、なんとか形にして提出し、幸いにも拾っていただきました。

——独学で論文を執筆されていた頃と、大学院という研究の場に身を置いてからとで、最も大きな変化は何でしたか?

顕著に身についたのは「史料を解読/読解する能力」です。まずは言語能力ですね。

私は大学時代から現代中国語は読めたので、歴史史料も読めるだろうと高をくくっていました。しかし、修士課程の入試のための論文の準備で過去の中国の公文書を閲覧したところ、全く歯が立たなかったのです。

——読めると思っていたものが、読めなかった。

はい。漢文の授業で習ったような文語体な感じがして、かつ、句読点がなく、どこで文章が切れるのかも分からない。さらに手書きの史料になると、漢字の崩し字が読めず、そもそも何という文字が書かれているのかすら判別できませんでした。結局、その時は読むのを諦めました。

川島先生のゼミは、まさにそうした中国の外交公文書を精読するものだったので、最初のうちは毎回授業についていくのがやっとでした。しかし、そうした訓練を重ねるうちに、少しずつ読めるようになってきた。修士1年の冬頃にそうした実感を少し得られたと思います。何より大きかったのは、分からないことを調べるための「術」を知ることができたことです。

最後は史料との向き合いについて伺います。

References

References
1 中華人民共和国の省レベルの行政区画として1955年に成立。166万平方キロメートル(日本の面積の4倍以上)の面積に、約2585万人が居住し、ウイグル族が44.96%、漢族42.24%を占める(2020年11月1日時点)。

(「新疆維吾爾自治区第七次全国人口普査主要数拠」2021年6月14日公表[https://tjj.xinjiang.gov.cn/tjj/tjgn/202106/4311411b68d343bbaa694e923c2c6be0.shtml](2025年10月11日最終閲覧))

2 ドイツの海外領土とオスマン帝国の非トルコ地域について、国際連盟規約第22条に基づき、受任国がこれら地域の人民の自立を後見するという趣旨のもとで統治を担う制度。当該地域の政治的・文化的発展度合いとされるものにより、統治方式はABC式の三段階に分類された(Aから順に発展度合いが低くなるものとされた)。
日本は旧ドイツ領の赤道以北の南洋群島について、1920年に連盟理事会と委任統治条項を結んだ後、1922年にC式委任統治を開始した。
(等松春夫「南洋群島の主権と国際的管理の変遷──ドイツ・日本・そしてアメリカ」浅野豊美編『南洋群島と帝国・国際秩序』慈学社出版、2007年、24–25頁。)
3 1890年代後半に中国各地で成立した。清朝(のちに中華民国)から外国への主権譲渡の度合いが大きく、行政権や司法権も外国側が有するものとされる。
日本は日露戦争後、ロシア帝国から旅順・大連租借地を継承した。

(川島真「領域と記憶──租界・租借地・勢力範囲をめぐる言説と制度」貴志俊彦、谷垣真理子、深町英夫『模索する近代日中関係──対話と競存の時代』東京大学出版会、2009年、163, 168–170頁。)

4 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻教授。専門分野はアジア政治外交史、中国外交史。主要著作に『中国近代外交の形成』名古屋大学出版会、2004年(単著。サントリー学芸賞受賞)、『21世紀の「中華」──習近平中国と東アジア』中央公論新社、2016年(単著)、『中国のフロンティア──揺れ動く境界から考える』岩波書店、2017年(単著)などがある。