このインタビューは全3回シリーズ
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ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第六十六回となる今回のインタビューでは、クチャ(現在の中国新疆ウイグル自治区)の石窟寺院に描かれた仏教壁画を専門とし、ドイツに渡った壁画の断片を本来の石窟空間にデジタル復元して当時の人々の視覚体験を追体験する研究に取り組む、西域仏教美術史研究者の檜山智美さんにお話を伺います。

主役は私たちではなくブッダ

——そのキュレーションの感覚は、いまの研究テーマにも直結しているそうですね。

はい。壁画は壁の一部で、キャンバスの絵とは違います。壁画が描かれていた空間を全体的に復元することで、当時の人たちが石窟の中で体験していた視覚体験を追体験できるんです。古代の“仏教テーマパーク”のようなもので、須弥山世界観(しゅみせんせかいかん:古代インドや仏教に伝わる、須弥山を中心とする宇宙観)や古代インドの聖地が、石窟空間全体を使って再現されています。

——復元してみて、印象が変わったことがあるとか。

戦前、ベルリンの旧国立民族学博物館にて目玉展示的な扱いで復元展示されていたある有名な壁画を、本来の石窟空間のコンテクストの中で捉え直してみたところ、「あれ?これ、全然見えないんじゃない?」となったんです。

——見えない壁画……?どういうことでしょう。

実は、その壁画は、石窟の中に置かれた巨大な仏像の影に隠れて、ほとんど見えない位置に描かれていたことが分かったんです。その部屋には屋外からの光がほとんど届かず、また仏像と壁の隙間は60cmほどしかなくて、人が入って鑑賞することがまったく想定されていない。それなのに、足元まで緻密な仏伝図などの壁画がぎっしり描かれていました。すべての壁画装飾をよく見渡せるベストポジションにいるのは、人間ではなくブッダ。その空間の主役は私たちではなく、ブッダだったということが分かったんです。

——ちょっと鳥肌が立ちました。

私が専門にしているクチャの石窟寺院の中でも、最もメジャーな形式は中心柱窟と呼ばれるものですが、主室の奥に「涅槃空間」と呼ばれる回廊が設けられており、暗い回廊を松明を持って巡ると、涅槃前後の物語が時系列に目に飛び込んできます。手前の主室では人物像がミニチュアサイズなのに対して、涅槃空間だけは全員が等身大(平均150cm前後)で表現されているんです。自分と同じくらいの身体を持つ人物像たちに左右を囲まれながら、お釈迦様が涅槃に至る前後の出来事を、いわば“自分が動くタイプの劇場”として体感することになります。

他にも、主室の中心に立つと、すべての壁面の壁画が強烈な意味を持って立ち現れてきて、自らの存在を須弥山世界観の中にマッピングできるしくみになっているような窟もあります。当時の人たちは、自分がどうやって生まれて、この世界がどう成り立って、どう終わるのか分からなかったはずです。宗教的な世界観の中に自分の存在を位置付けることの出来る石窟寺院、それがまさに、比較専攻の修士論文のテーマでした。

最近、大正大学でのゲスト講義で「究極、宗教とは何だと思いますか」と聞かれたとき、迷いなく「生きることに意味を与えてくれる物語だと思っています」と答えたのですが、それはこのような石窟の事例を見てきたからだと思います。

——研究や講演活動とあわせて、後進の育成にも力を入れていらっしゃるそうですね。

昨年から「シルクロード仏教文化研究会」という研究会を主催していますが、院生が主体で企画・運営してくれています。日本の仏教研究は男性中心の世界ですが、うちの会は若手研究者や院生、そして女性の参加者比率が圧倒的に多いのも特徴です。

シルクロードや中央アジアの仏教美術を専門に研究ができる研究室が、実質、20年ほど前に宮治昭先生が退官されて以来、日本のどこにもなくなってしまっているんです。私のときも行き先がなくて、迷走した末にドイツでやっと居場所を見つけました。20年前の自分を救いたいという気持ちで、研究会を立ち上げたところもあります。

——研究者の居場所が少ないとなると、就職の問題も依然として大きいのでしょうか。

私自身、いまも任期付きの立場で、もう12年ほど就職活動中ですが、任期無し職に付ける見通しは立っていません。西域を専門にするポストが日本に存在しないので、就職のしようがないんですよね。ありがたいことに「檜山先生の指導で博士論文を書きたい」という声を国内外からいただくのですが、大学院生の指導が出来る立場にないもので、正式な指導教員となることができません。

——せっかく熱意のある学生がいるのに、もどかしいですね……

長い目で見て学問の伝統が途切れることを避けたいので、いつか自分が学生を指導できる立場になって、西域やシルクロードの美術に興味を持ってくれる学生を育成したいというのが、いまの夢です。ドイツ留学中、幸運にも、教員は全力で学生の育成のために尽くすべきだという考え方の先生方に囲まれていました。ご自身がどんなに忙しくて大変な時であっても、嫌な顔一つせず奨学金申請のための推薦書を必ず書いてくれるような、そんな利他的な先生方に恵まれていたので、自分もそれを次の世代に向けて恩返ししたいと思っています。自分が好きなことをやりたいという「利己」と、みんなに楽しんでほしいという「利他」。両方あるので、もしかしたら二重人格なのかもしれません(笑)。

——いやいや、利己と利他ってこうやって両立するのかもしれないです。本日はありがとうございました。

(聞き手・文:廣川ちあき)