ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第四十三回となる今回のインタビューでは、環境美学・日常美学を専門とし、生活者の視点から新たな美学のあり方を提唱する、青田麻未さんにお話を伺います。

苦手意識からの解放と美学との邂逅

——青田さん、本日はよろしくお願いします。ご著書の『「ふつうの暮らし」を美学する 家から考える「日常美学」入門』も話題になっていますね。本日は青田さんが、今ここにたどりつくまでの道のりを、一緒にひもといていきたいと思います。

はい、よろしくお願いします。

——さっそくですが、小さい頃はどんなお子さんだったのでしょうか。

実は、幼稚園時代は、幼稚園が本当に苦痛で仕方がなかったんです。

——幼稚園が苦痛、ですか。それはまたどうしてでしょう。

幼稚園って、基本的に生活のすべてが「遊び」か「工作」か「運動」で構成されているじゃないですか。私は手先が不器用で、運動神経も壊滅的だったんです。だから、幼稚園という空間にいる限り、自分の苦手なことばかりを強要されるわけです。

例えば「お母さんごっこ」をするにしても、足の速い子が先に遊び場に着いて、お母さん役やお姉さん役を取ってしまう。足の遅い私はいつも最後まで残って、配役されるのは決まって「赤ちゃん役」か「犬役」でした。

——「お母さんごっこ」では、どちらかというと不人気の役ですね。。

とはいえ、楽なんですよ。「バブー」か「ワン」と言って、誰かが運んでくるおもちゃのご飯を食べるふりをするだけ(笑)。そうやってなんとか時間をやり過ごしていました。

だから、小学校に入学した時は感動しましたね。「勉強」という新しいルールが導入されたからです。勉強であれば、運動神経がなくても、手先が不器用でも、頭を使えば正解が出せる。私にとって学校は、ようやく自分が「できること」が見つかった、救いの場所のように感じられました。

——勉強ができることで、自分の居場所を見つけたということですね。

ただ、最初から全てが順調だったわけではありません。特に国語の作文には苦労しました。小学1年生の時、「運動会の感想を書きなさい」と原稿用紙を渡されたことがあったんですが、これが全く書けなくて。

パン食い競争に出たので、「パン食い競争が楽しかった」と一行だけ書いて、それ以上はどうしても筆が進まない。400字詰め原稿用紙を前に、途方に暮れていました。

——そうですか、意外にも。そこから、現在のように文章を書くお仕事に繋がっていくのが不思議です。何かきっかけがあったのでしょうか。

当時の担任の先生との出会いが大きかったですね。ベテランの素晴らしい先生でした。一行しか書けない私に対して、「これじゃダメだ」とか「もっと埋めなさい」とは一度も言いませんでした。

代わりに、「パン食い競争のどういうところが楽しかったの? 次はそれも書いてごらん」と、問いかけを重ねてくれたんです。一行を二行に、二行を三行にする方法を、本当に根気強く教えてくれました。

——否定せずに、一歩ずつ引き出してくれたんですね。

ええ。他にも、「自分が育てている朝顔に手紙を書こう」という課題がありました。私は「朝顔と会話なんてできるわけがない」と冷めた子供だったので(笑)、「朝顔さん、あなたの誕生日はいつですか?」と一行だけ書いて出したんです。そうしたら先生は、「朝顔さんに聞くだけじゃなくて、次は自分の誕生日も教えてあげたらどうかな?」と返してくれた。

そうやって指導を受けるうちに、書くことがどんどん楽しくなってしまって。翌年には逆に、動物園に行ったら見た動物すべてについて書かないと気が済まないような、「書きすぎる」子供になっていました。先生に「次は印象に残ったことだけに絞ろうか」とたしなめられるほどに。

——極端から極端へ(笑)。でも、そうやって「書くこと」の面白さに目覚めていったのですね。

その経験があったので、小学校の先生という職業に強い憧れを抱くようになりました。「あんなふうに子供に教えられる大人になりたい」と。その夢は高校生になっても続いていたんですが、少し形が変わってきまして……高校時代にちょっと「イキリ始め」てしまったんです。