ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査が行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。
第二十二回となる今回のインタビューでは、ご自身のDJとしての経験を武器に、音楽と交流が渦巻くナイトクラブというフィールドへ分け入り、そこに集う人々の生の声をすくい取る、研究者の下川詩乃さんにお話を伺います。
予期せぬ道と最初の問い
——本日はよろしくお願いします。下川さんのご研究内容はもちろんですが、そこにたどり着くまでの歩みについて、じっくりお話をうかがえればと思います。
よろしくお願いします。
——早速ですが、下川さんはご自身のことを、誰かに紹介する際に「何の研究者です」といった決まったフレーズはありますか?
最近は「ナイトクラブのフィールドワークをしています」と答えるようにしていますね。
——フィールドワーク、ですか。
ええ。「質的調査をしています」と言うよりも、どこか含みがあって、相手に「え?」って聞き返してもらえるかな、と。会話のきっかけになりそうなフックとして、意識的に使っているかもしれません。
——確かに「ナイトクラブ」と「フィールドワーク」という、一見すると結びつかなそうな言葉が並んでいると、興味を惹かれます。実際に「どういうことですか?」と聞かれることが多いですか?
はい、ほぼ100%そうなります。「そうなんですね」で終わることはまずありません。次に聞かれたら、「クラブには音楽を楽しむための音箱と、交流目的のいわゆるチャラ箱という二つのタイプがあって、その両方を行き来しながら関係性を見てるんです」と説明します。
——なるほど、まずクラブに二種類あるというところから、多くの人にとっては新しい発見かもしれませんね。
そうなんです。一般的に、テレビなどで映し出されるクラブのイメージは、ネオンがギラギラしている「チャラい場所」というものだと思うので。「そんなところに行ってるんですか?」という反応に対して、「いえいえ、実は音楽好きが集まるような場所もあってですね……」というふうに、少しずつ話を深めていく感じです。
——そもそも、なぜナイトクラブというテーマにたどり着いたのでしょうか。ご経歴を拝見すると、大学は商学部のご出身で、最初から社会学を志していたわけではなかったのが意外でした。
実は私、商業高校の出身なんです。なので、高校から進学できる大学の学部が、実質的に商学部しかなくて。
——というと、ご自身の興味とは別に、制度上の理由が大きかったのですね。
はい。商業高校では、普通科目の授業時間を減らして、代わりに簿記やマーケティングといった専門科目を学びます。だから他の学部に進学しようとすると少し大変で、進学希望の生徒のほとんどは、指定校推薦でどこかの大学の商学部や経営学部に進むのが一般的でした。私も当時は簿記が好きでしたし、特に疑問もなくその道を選びましたね。
——商業高校を選んだことにも、何か特別な理由が?
家からすごく近かったんです。徒歩1、2分で(笑)。朝が苦手で、中学時代は遅刻気味だったので、高校は絶対に遅刻しないように近いところを選ぼうと。あとは、制服が可愛かったというのもあります。
——とても現実的で、納得のいく理由です。
そうなんです。でも、今となっては、商業高校出身で大学院まで進んで社会学をやっている、という経歴は珍しいと思うので、逆に良い視点になっているかもしれません。
——大学進学を機に、地元を離れて関西に出られていますね。
福井県の出身なのですが、絶対に都会に出たいという気持ちが強かったんです。博物館や美術館で剥製を見るのが好きだったのですが、地元の博物館には少ししか展示がなくて。それがある時、東京に行く機会があって、東京駅近くのKITTEという商業ビルの中にあるインターメディアテクという博物館に立ち寄ったんです。
——東京大学の学術標本を展示している、入場無料のミュージアムですね。
そうです。高校生の時にそれを見て、鳥の剥製が壁一面に展示されている光景に圧倒されてしまって……。「都会はこんなに価値の高いものを無料で見せられるほど、物や機会に溢れているんだ」と衝撃を受けました。このまま地元にいたら、自分はだめになってしまう。絶対に都会に出ようと、その時に固く決意しました。そこから本気で勉強して、関西の大学の指定校推薦を取りました。
——憧れの都会、京都での大学生活はいかがでしたか。
周りには賢い人たちがたくさんいて、すごく刺激的でしたし、本当に楽しかったです。同志社大学の今出川キャンパスは京都御所の真ん前にあって、街の中心部にも近いので、どこへ行くにも便利でした。
——充実した大学生活の中で、商学部での学びに疑問を感じるようになったのは、どのようなきっかけだったのでしょうか。
マーケティングの講義だったと思います。ある企業の成功事例として、経営危機を乗り越えるために大規模なリストラを断行し、効率化を進めた、という話が紹介されたんです。先生はそれを素晴らしいこととして語っていたのですが、私は「でも、リストラされた人たちはどうなるんだろう」「それを美談として語っていいのだろうか」という違和感が拭えなくて。
——効率や利益の裏側にある、人の側面に目が向いたのですね。
ええ。その頃から、自分の中にアンチ・ビジネス的な思考が芽生え始めていたのかもしれません。効率を追求することよりも、もっと大事なことがあるんじゃないか、と。商学部で学びながらも、どこか批判的に講義を聞いている自分がいました。
——それが、大学院で専門分野を変えるきっかけに繋がっていくのですね。
はい。もう一つ大きかったのが、所属していたゼミです。そこは「研究ゼミ」を謳っていて、学部生でありながら年に二回、学会で発表するという少し変わったゼミでした。
——学部生で学会発表とは、かなり本格的ですね。
指導教員の田口聡志先生は会計学が専門でしたが、AIや行動経済学といった学際的なテーマを扱っていました。私も、社会心理学の理論を応用して「あるボーナス制度と従業員の幸福度の関係」や「AIと信頼性の関係」といった研究をしていました。その中で、理論の元になっている社会心理学という学問そのものに興味が湧いてきて、もっと本格的に探求したいと思うようになったんです。
次回は社会学への越境について伺います




