ジンブン独学ノートの実践編では、実際の研究について紹介します。研究へのモチベーションから、どのように日々の調査行われているのかまで、インタビュー形式でお届けします。

第十四回となる今回のインタビューでは、ジブンジンブンのメンバーである須河原さんにお話をうかがいます。須河原さんは一般企業に勤める傍ら、独学で苗字研究を行っています。

なぜ苗字研究者に? 趣味と学問が融合するまで

——本日はどうぞよろしくお願いします。須河原さんは「苗字」の研究をなさっていますが、まずはどのような研究をされているのか、お聞かせいただけますでしょうか。

苗字には地域差があるのですが、それを歴史文化的な文脈から解き明かしていく、ということをやっています。

——「この地域にはこの苗字が多い」といった話はよく聞きますが、それを実証的に研究されているのですね。

そういった話は皆さん大好きですよね。ただ、それを専門的に研究している人は、実はほとんどいないんです。苗字研究という分野自体が、まだ確立されていないのが現状です。

——そうなんですか。歴史学などで苗字が扱われることはあるのでしょうか?

在野の研究者で苗字に関する本を多く出されている森岡浩さんという方がいますが、アカデミックな世界で苗字を研究している人は、数えるほどしか思いつきません。歴史学の分野で名字(苗字)を扱った専門書は存在しますが、中世史研究などの副産物としてでてきたものが多く、近世となると本当に少ないと思います。

——私たちの苗字のルーツにより近い近世の研究が少ないというのは意外です。

近世には庶民の苗字の使用が公には禁止されていたので、資料が少ないということが大きいと思います。ただ、私はそこが一番重要だと考えています。

——苗字研究の道に進まれたきっかけは何だったのでしょうか。

いつからかははっきりしませんが、幼少期から漢字が好きで、国語や歴史の授業が好きでしたね。大学ではたまたま地理学を学ぶことになったのですが、地理学と苗字への興味が融合したのだと思います。ただ、本格的に研究を始めたのは、普通に就職してからです。

——大学時代からではなかったのですね。

大学では島関係の研究をしていましたし、私の指導教官は農業経済が専門でした。大学のころから趣味で苗字を集めていたりもしましたが、研究にしようとは思っていませんでした。

——では、就職されてから、どのように研究を始められたのですか?

研究を進める上で、まずデータが必要になります。一般的な苗字ランキングはあっても、私が求めるようなレベルの細かい旧市町村単位での詳細な分布データは存在しません。平成の大合併で生まれた広大な市町村だと、それだけでは実態が見えにくいですよね。そこでプログラミングを使ってデータを分析できる形に整えることから始めました。

——テクノロジーを駆使して、ご自身で研究基盤を築かれたと。

そうです。そのデータ基盤ができたことで、本格的な研究が可能になりました。苗字はまだハードルが高いですけれども、最近は地理情報関係のオープンデータはかなりの勢いで増えているので、こうしたアプローチは今後増えていくと思います。基本的なデータとしては、国土交通省の国土数値情報などが代表的ですね。

——大学時代は離島研究をされていたとのことですが、そちらについても少しお聞かせいただけますか。

もともと人文系の学問全般に興味があったのですが、大学1年生のときに聴講した文化人類学が面白く、進学しようと思っていました。1年生の終わり頃にたまたま旅行で島に行き、それが島に興味を持つきっかけとなりました。人類学の学科は成績の関係で行けなかったのですが、同じくフィールドワークができる学部ということで地理学を選びました。

——離島のどういった点に魅力を感じられたのでしょうか。

いろんな島を歩いていると、景観はそれぞれ違うのに、「あ、ここ似てるな」と感じる瞬間があるんです。「島嶼性」という言葉で語られることもあるのですが、規模が小さく隔絶された環境であるがゆえに、本土とは異なる生態や生活様式が生まれてきます。特に印象深いのは、山口県の「見島(みしま)」という島です。私が一番好きな島で、日本のあらゆる離島の要素が詰まっていると感じています。

——あらゆる離島の要素、ですか?

石垣に囲まれ、瓦屋根の家々がひしめき合う集落の景観、農業、漁業、かつては捕鯨の基地であり、防衛の拠点でもあった歴史、そして豊かな自然。バードウォッチングも盛んです。様々な魅力が凝縮されているんです。ただ、魅力が多岐にわたる分、いきなり行くよりは、30島くらい巡ってから行くと、その面白さがより深くわかると思います。

——30島! かなりのペースで巡られたのですね。

大学時代は、3ヶ月に1回くらいのペースで行っていましたね。

——現在は80島ほど巡られたとか。すごい数ですね。大学院では、そうした離島での経験を踏まえて、どのような研究をされていたのですか?

大学院では、島と直接関係するわけではないのですが、離島における短期農業アルバイト、いわゆる「出稼ぎ」のような形で働く人々の労働力需給調整について研究しようとしました。農業はどうしても収穫期などに人手が必要になるのですが、この働き手にも様々なパターンが存在します。どういう方々が、どういった理由で特定の時期に島に来て働いているのかを調べようとしたのです。

——フィールドワークが中心になりそうですね。

そのつもりだったのですが、ちょうどコロナ禍と重なってしまい、思うように調査が進みませんでした。それに加えて、大学院に入ってすぐに、自分は研究者というよりは、もう少し組織的な環境で働く方が向いているのではないかと感じ始めました。研究者というのは、ある意味で個人事業主のようなものです。自律的に生活を組み立てていくのがしんどいなと感じていました。

——ご自身の適性を見つめ直されたわけですね。

もともと大学時代にWikipediaを執筆したりもしていて、研究よりも趣味として調べたことをまとめるのが楽しい、という感覚がありました。学問との接点は持ち続けたいが、必ずしもアカデミアでなくてもいいのではないか、と。それで、一度就職して、社会人として研究を続ける道を選びました。実際に、その方が私には合っていたようで、かえって研究も楽しくなりましたね。

次回は研究の具体的な内容について伺います。